2025年追記
大奥様は、変わらずお元気なご様子でした。 ご高齢にもかかわらずお元気でいらっしゃることは、何より喜ばしいことです。
しかしながら、「何をしても、何を言っても許される」といったご様子のご態度には、残念ながら横柄さを感じざるを得ませんでした。 檀家に対する不遜なお言葉やご言動は、ご年齢とは関係のない問題であり、決して許容されるものではないのではないでしょうか。 ご自身の立場をお考えいただき、言動にはより慎みとご配慮が必要と存じます。
また、お寺の管理を任されていらっしゃるご身分にありながら、品位を欠くような振る舞いをなさることには、大変な違和感と悲しみを感じました。
特に、独身者に対して「まだひとりもん」といった蔑むような発言をなさる場面もあり、また、ご自身の自慢話や説教が延々と続くなど、不快に感じる瞬間が多くございました。
このような状況を受け、港区芝の曹洞宗宗務庁にご相談させていただきました。
ご住職様が大奥様に対して遠慮があることは拝察いたしますが、対応につきましては、より中立的な立場でいらっしゃる奥様にお任せになられてはいかがでしょうか。
※
大奥様が大変おしゃべりな方で、個人情報がすごく漏れてしまい困っています。
奥様は檀家の親戚同士の様子、近況を、差し支えない程度に、お互いに話してます、とおっしゃってましたが、 このご時世、親戚間の個人情報は、差し支えることがたくさんあります。
例えば、自分の親戚の疎遠の方について、、 その方は、40過ぎの親戚の独身女性ですが、 結婚相手のお相手がいないで終わってしまったわ、など、奥様が、私達の親戚について話されていて、心無い言葉に、心底驚いてしまいました。
そんな世間話を玄関先でされていたことを、もしご本人が聞いたら、 決していい気持ちはされませんよ。
また、自分たちについても、色んな噂話を他の方にされてるんだろうなと、警戒にかわりました。
檀家に対して、慇懃無礼であり、多様性のある現代女性の生き方に対しても、偏見があり、大変失礼だと感じました。
私としては、親戚の方の余計な情報は一切聞きたくありません。
色々と言いたいことはありますが、全てにおいて口は災いの元です。
若い甥っ子さんの住職さんがひと当たりよい感じの方なので、 はや...
Read more海晏寺(かいあんじ)の山号は、サンスクリット語の音写から、補陀落(ふだらく)山になっています。また、海晏寺の名称ですが、国立国会図書館のデジタルサイト「錦絵でたのしむ江戸の名所」の解説によれば「世の中が安らかで穏やか」という意味の「四海安平」(しかいあんぺい)から来ているとされています。名は体を表すと言いますが、その体の意味や本質を知ると一段と深みを感じて来るものですね。 その海晏寺は、建長3年(1251年)に臨済宗として開基開山された古刹でしたが、衰退の途を辿り、慶長元年(1596年)に天叟慶存(てんそうけいそん)和尚によって、曹洞派の禅宗として再興されたと知られています。 江戸時代に斎藤月岑(げっしん)が著した『江戸名所図会』巻之二(天璇之部/てんせんのぶ)の海晏寺の項には、「曹洞派の禅宗にして、三田の功運寺(こううんじ)に属す。北条相模守平時頼朝臣(たいらのときよりあそん)の開基として、大覚禅師を開山と称し、古山和尚を第二世とす。天叟慶存和尚、慶長元年丙申、当寺を再興して中興となる。本堂 本尊鮫頭観世音。鐘楼 ...
Read more江戸三十三観音霊場と東海三十三観音霊場の参拝でそれぞれ別の日にお伺いしました。 曹洞宗系単立のお寺で補陀落山海晏寺といい江戸観音霊場番外札所、東海観音霊場の旧第三十番札所になりますが現在は東海三十三観音霊場の札所から外れています。 御本尊は聖観世音菩薩になります。 建長三年(1251年)鮫洲に浮上がった大鮫の死体から正観世音菩薩木像が出てきたことからその正観世音菩薩木像を安置するための堂宇として、鎌倉幕府第五代執権北条時頼公が開基となって宋から渡来した禅僧蘭渓道隆の開山により臨済宗の寺院として海晏寺境内に庵瑞林として創建されたのが始まりで、この地域一帯の「鮫洲」という地名の由来にもなっています。 戦国時代戦火により荒廃しましたが徳川幕府初代将軍徳川家康公の命により文禄二年(1593年)天叟慶存を招いて臨済宗建長寺派から曹洞宗寺院として中興開山し海雲寺になりました。 境内の墓地には越前福井藩第十六代藩主松平春嶽公や明治維新の十傑の一人岩倉具視公の墓があります...
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