飛木稲荷神社様 (とびきいなりじんじゃ) 鎮座地∶東京都 墨田区 押上2ー39ー6 御祭神∶宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) 別 名∶宇迦神霊命(うかのみたまのみこと)、 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
•飛木稲荷神社の縁起(えんぎ)と由来について 祭神∶宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ) 一般に「おいなりさん」と言われ親しまれて いる神様で農工・殖産(しょくさん)・生活の 加護(かご)にお働きのある神様であります。 •神木 いちょう 樹齢千年をこえると言われ戦火 (昭和20年3月9日)により、損傷を受けました が、ご覧のように元気に繁茂(はんも)してお ります。古老の言い伝えによれば、大昔のあ る時、暴風雨の際、どこからか いちょうの枝 が飛んで来て、この地に刺さったとのことで す。そしていつの間にか亭亭(ていてい)とそび えたので、時の人が、これは異状のことである として、稲荷神社をお祀りしたのが始めである と言われております。飛木稲荷の名もこれから 起ったものです。 •お祀りした時代については、当地は再三の水 害等により旧家や円通寺等では、古い書物が矢 われて詳しいことはわかりませんが、旧幕社寺 奉行書によれば応仁2年(西暦1468年)とありま すが、おそらくそれ以前であると思われます。 •お稲荷さんときつね 稲荷神社には、石ぎつねがあり、またせともの のきつねがたくさんあるので、きつねがお稲荷 さんと思われがちです。そのことは、稲荷神社 が最初に祀られた京都伏見稲荷神社 境内のお 山にきつねがたくさん住んでいたことから、き つねは、お稲荷さんのお使いであるという信仰 が生まれました。この信仰から神社の前に置か れるようになったものです。 •境内神社 日枝神社(ひえじんじゃ) 祭神∶大山咋神(おおやまくいのかみ)
奥社 稲荷神社 祭神∶本社と同じ
寄進 昭和52年7月吉日 押上3丁目 伸成睦
(境内の案内板から、ほぼ全文を記載しました)
•飛木稲荷神社のイチョウ 数量∶1 本 寸法∶目通り周り 約 480 cm (参考 目の高さ 約 1.52m〜1.82m)
このイチョウは江戸時代以前からのイチョウ と伝わり、樹齢は 500〜600 年と推定されま す。飛木稲荷神社は、「神社明細帳」(明治 2年) によれば、応仁 2 年(1468)の創建とされます。 伝承では、鎌倉幕府の滅亡後、北条氏の一門 が逃れて転住し、稲荷大明神を奉祀したこと に始まるといいます。また、暴風雨の際にイ チョウの枝が飛来してこの地に成長したこと を人々が瑞兆(ずいちょう)に受け止め、稲荷 神社に祀った(まつった)とも伝わり、神社の 名称がこのイチョウに由来する可能性を持ち ます。区内随一(ずいいち)の大木で、戦災で 根元から梢(こずえ)まで部分的に焦げた跡が 確認できます。平成 13年の台風で枝が折れま したが、樹勢(じゅせい)は回復しています。
「すみだの文化財」から、一部抜粋させて頂 きました。 頒布価格 500...
Read more東京都隅田区押上に鎮座する飛木稲荷神社は、社伝によると、創建年代は不詳で、明治二年(1869)の「神社明細帳」には応仁二年(1468)の創建と記されていますが、当社ではそれ以前の創建であるとしています。 大昔に暴風雨が起こった際、銀杏の枝が当地に飛来。地に刺さり、その枝がいつの間にかそびえた。これは瑞祥であるとして、稲荷神をお祀りしたというのが、社名の由来です。それが現在も御神木として、樹齢千年を超えてそびえる大銀杏とされています(御神木には、樹の幹と枝がお狐様のシルエットに見える部分があります。) 昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿が焼失。御神木であり当社の由来にもなった大銀杏も被災し、大きな損傷を受けました。しかし、御神木は息を吹き返し、昭和二十七年(1952)には社殿も再建されました。 ご祭神は、宇迦之御霊神です。 境内社として、社殿の左手に江戸時代の頃から「山王社」として鎮座していた日枝神社があります。社殿には細かい彫刻が施されています。その右手に鳥居があり奥社が鎮座しています。本殿の裏手が狐塚になっており、多くの神狐像が置かれ、狐穴や山頂に小祠が鎮座しています。 御朱印は社務所にていただけます。ポストカードも一緒にいただけます。初穂料は300円です。 すぐ近くに高木神社もあるので...
Read moreよりによって路地一つ挟んで、北隣には高木神社さん鎮座で、どうして...
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