境内で気になったものの観察情報を記載する。
【袂別の碑】 階段の所にある石灯籠。その台座に碑文が刻まれいてる。 「明治四十年十一月十一日 氏子ノ一部ナル上澁谷 字 大原ハ 陸軍練兵場ニ 指定セラレ 氏子人民ハ 温情ヲ割キ 随意各所ニ移住スル際 袂別紀念トシテ 之ヲ 建立ス」 これは, 明治四十年に明治政府から「お前らの住んでる土地に練兵場にするから」と言われたため,住民が自発的なやさしさ見せて,各所に移住。でもやっぱり,勝手知ったる近隣住民と離れ離れになるのは悲しかったのだろう。そのお別れ記念として,この石灯籠を建てた。 くらいの意味で読み取れる。
なお,代々木八幡社にも「訣別の碑」呼ばれる石灯籠があり、同趣旨の内容を刻んでいる。北谷稲荷のものも代々木八幡のものも似ているので,両者には関係があるのかもしれない。
【治水記念碑】 境内地の植え込みにある。題字揮毫 貴族院議員 従三位 伯爵 中川久任。碑石左側面が欠損。これにより,漢詩・健之年月日・謹書者・撰文者不明。内容をを抜粋して読むに,
まず,「大正九年九月三十日暴飄襲澁谷※」とある。 これは「大正9年東日本風水害」を指すものと思われる。グアム沖で発生した台風が房総半島を掠めながら北上。大正九年九月三十日から翌日未明にかけて,関東地方全域と福島・宮城県に甚大な被害をもたらしたそうである。
次に,「岡部池決濁流滔々崩北谷坺大木轉石桓靁蕩雲奔浸數百戸※」とあるが,岡部が池は,かつて存在した池の名前。現代々木公園近辺にあったとか,元は武家屋敷の庭園の池だったとか,そういう話である。明治時代以降,池周辺は陸軍練兵場施設となり,また溜池として使われたそうである。
さらに,「第三區區長武川實君區長代理小松原彌右衛門君區會議員後藤仙太郎君發寝食救之且請資於陸軍又募義捐以賑之※」と刻み,地元有志三名が救民活動を行ったことが分かる。
最後に,「官築陂溶渠更給北谷祠修復資金七千五拾圓神社總代等督事修社境營祠殿翌年十月竣工閟宮壯麗※」と続き,政府の援助金で北谷稲荷神社の修繕が行われたことが読み取れる。
※大正九年九月三十日の暴飄(ボウヒョウ)渋谷を襲う。 「大正九年九月三十日の暴風雨が渋谷を襲った」
※岡部池(オカベイケ)決(サ)け,濁流滔々(ダクリュウトウトウ)として北谷を崩(クズ)す。大木を坺(ヌ)きて,石桓(イシガキ)を轉(コロガ)す。靁蕩雲奔(ライトウウンポン),數百戸を浸(ヒタ)す。 「岡部が池が決壊し,濁流がゴウゴウと北谷を崩した。大木は倒れ,石垣が散らばる。あっと言う間に,数百戸が浸水した」
※第三區(ダイサンク)區長(クチョウ)武川實君,區長代理(クチョウダイリ)小松原彌右衛門君,區會議員(クカイギイン)後藤仙太郎君,寝食救之(シンショクキュウシ)を發(ハッ)して,且(マサ)に陸軍に資(シ)を請(コ)わんとし,また義捐(ギエン)を募(ツノ)り,之を賑(ニギワ)す。 「第三区 区長 武川實君・区長代理 小松原彌右衛門君・区会議員 後藤仙太郎君は,日常生活救済(の意見)を発して,陸軍に物資(の融通)をお願いしようとし,また寄付を募って,これを賑やかした」
※官(カン)陂(ツツミ)を築(キヅイ)て,渠(ミゾ)を溶(ト)き,更に北谷の祠の修復資金...
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This is a charming little Shinto shrine tucked into the city streets, with a surprisingly modern feel. We were able to get a goshuin stamp here from a couple of kind monks. There’s also a water fountain on-site, which was perfect for a quick rest and refreshment after exploring. A peaceful stop in the midst...
Read moreThe staff here was amazing when me and my girlfriend went, he was very understanding an cheerful. The shrine itself is small but very peaceful an the waiting room is lovely. We would definitely...
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