NAGOMI-YONEYA Flagship Shop (なごみの米屋 總本店) is a fantastic place to visit if you love traditional Japanese sweets. They have an incredible selection, from classic manju to seasonal treats like sakura mochi—so many delicious options to choose from!
I tried two of my favorites (check my photos!), and both were absolutely delicious. The flavors were rich yet delicate, and you can really taste the quality ingredients.
Another great thing about this shop is that it has a completely free car park, which is surprisingly rare in the middle of Narita city. Super convenient if you’re driving!
If you’re in the area and want to experience some authentic wagashi, this place is definitely...
Read moreWe ordered a 2-scope green tea ice cream. The waitress misunderstood us (part English and part very broken Japanese). An elderly lady delivered a bowl of green tea and a green tea / vanilla ice cream. I pointed at the photo in the menu and attempted to explain. This elderly lady happily returned the 2 incorrect dishes. Then she brought out a 2-scope vanilla ice cream. Again I pointed at the menu. Once again she returned the dish. Finally she brought out the correct one with a good smile. The service...
Read more敷地の一角に成田不動尊の旧跡がある。この地には一体どのような「いわく」があるのか。碑文を読みつつ歴史に想いを馳せてみる。
抑(そもそも)成田不動尊というものは、承平の乱の際、蓋世の英雄平将門を呪詛するために派遣された、言ってしまえば呪詛をもってする暗殺者のようなものであった。現在の新勝寺は万人を受け容れる楽しみと祈りのテーマパークになっているが、この今昔のあいだのギャップこそわたしにとっての成田山の魅力に他ならない。こうした捉え方を大袈裟に感じる方が多いであろうことは想像に難くないが。
その後忘れられた存在として公津ヶ原に長らく放置されていたため祠も荒れ果ててしまっていたのを、突如として成田七軒と伝えられる土豪(と思われる者)たちの目に止まったのである。なぜだろう。
時は室町末期。関東の豪族たちは、北条方と上杉方に別れて激しい覇権争いを繰り広げていた。京の室町幕府から関東の統治を期待された関東公方(公方は将軍と同じ意味)の府は鎌倉から古河に移され、この下総の地も例外なくいつ果てるとも知れない戦乱の最中にあった。現在の成田市内に散在する中世の砦跡の数々は戦乱の時代の面影を今に伝えている。
永禄年間は上杉謙信が常陸・下総に一大攻勢を仕掛けた時期に当たる。成田から目と鼻の先にある臼井城も激しい攻撃にさらされた。
ここからはわたしの想像ではあるが、そのことに非常に恐れを為した成田七軒たちは、将門呪詛伝承を見出だし、藁をも掴む思いで不動尊像を招いたのではないか。一大英雄にして軍事カリスマであった平将門に匹敵する軍神であり、(北条方から見れば)関東管領を僭称している敵を抹殺するのに、将門呪詛の「実績」を持つ不動尊は誠に適任と思われたのだろう。伝承によると、招聘は心からの崇敬によるものではなく、必要に迫られた嫌々のものだったようである。不動尊像の佇まいが余りに不気味であったからと伝えられている。
最終的に「選ばれた」のは他ならぬ「なごみの米屋」のご先祖様である諸岡三郎左衛門であった。伝承の世界の話ではあるが、「なごみの米屋」の敷地内にあるこの旧跡は、新勝寺の、近世から始まる目覚ましい発展の歴史の誕生の地(であったろう場所)として今後とも記憶されるべきと思う。
上杉謙信の遠征は不首尾に終わった訳だが、そのことが不動尊の効験によるものと評価されたのかどうか、また政治的・軍事的情勢と不動尊の祠が現在の場所に移されたこととの関連は残念ながら全くもって不明である。ただ現在の新勝寺の境内が当時の土豪のひとりと伝えられる馬場氏の居城とされる寺台城の台地の根元辺りにあるのは注意されてよいのではないだろうか。たとえ両者の間に全く関連性がなかったとしても。
現在の寺台城跡は当時の遺構を留めるものではないが、また入口も決して分かりやすいとは言えないが、成田不動尊の原点である軍事的側面に想いを馳せるには決して欠かすことの出来ない場所であると思われる。
そういう訳で、今回は敢えて寺台城跡の写真をいくつか上げておくことにする。新勝寺といえば、同じ台地の上にある寺台城跡を一緒にイメージしてくれる方が少しで...
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