鎌倉駅・東口から若宮大路を横切り、鶴岡八幡宮とは反対方向に歩き、鎌倉郵便局とスルガ銀行 鎌倉支店の間の道を進むと、右側に本覚寺があります。本覚寺を過ぎて滑川にかかる夷堂橋 (えびすどう ばし) を渡って小町大路を右へ進みます。
最初の信号 (大町四ツ角) を過ぎ、さらにまっすぐ進み、JR横須賀線の踏切を渡った先の信号 (水道路) を左に進んだ右側にあるお寺。鎌倉駅から徒歩20分くらい。
なお、小町大路にあるJR横須賀線の踏切を渡らず、左側へ線路沿いに続く小道を歩き、小道が砂利道になった所にある踏切を渡ると近道です。
水道路 交差点の方から進んでゆくと、お寺の塀が見えてきて、通用口のような出入口から境内に入ることが可能。
この地の領主であった石井長勝 (いしい ながかつ) が、日蓮に帰依して日除と名乗り、1263年 (弘長3年) にその屋敷内にお寺を建てて、寄進したことに始まるそうです。本堂の前の広場には、大きな日蓮像があり、その周りには、四天王 (持国天、増長天、広目天、毘沙門天) 像が立っています。
日蓮は、1260年 (文応元年) に立正安国論を執筆し、実質的な最高権力者であった前の執権 北条時頼 (ほうじょう ときより) に提出しました。このことが原因で松葉ヶ谷 法難にあい、その時、帝釈天の使いである三匹の白い猿に助けられた、との言い伝えにちなみ、こちらの本堂には帝釈天が祀られています。
法華堂は1490年頃から1533年頃の建立と考えられ、神奈川県内では数少ない室町時代後期の仏堂として、貴重なもの。
長勝寺が管理している材木座霊園にお墓がある、赤木圭一郎の像が鐘楼の裏手にあります。像のある付近が霊園の入口で、上に登って行くとお墓に行けるようです。また、三角錫子 (みすみ すずこ) のお墓と、真白き富士の嶺 の歌碑もあります。
毎年2月11日に、千葉県市川市の法華経寺で、前年の11月から百日間に及ぶ荒行に勤しんだ僧侶たちが、最後にこの長勝寺で水行を行い修行を満了する大國祷会成満祭 (だいこくとうえ じょうまんさい) が行われます。
御首題は本堂の地下で頂きました。「ご参拝有難うございます」と書かれた看板のところから地下に入れます。本堂の地下は広くて、入って行くと食堂のような雰囲気ですが、その左側が本格的な寺務所になっています。御首題の金額は決まっておらず、寺務所の受付前に置いてある、鉄鉢 (てっぱつ)...
Read more日蓮宗のお寺で石井山長勝寺(せきせいざんちょうしょうじ)といいます、御本尊は大曼荼羅で、大本山本圀寺(京都六条門流)の旧末寺です。 建長五年(1253年)に日蓮上人が鎌倉の松葉谷に来て初めて草庵を結んだ霊跡場所の一つです。 伊豆に配流されていた日蓮聖人が鎌倉に戻った時に、この地の領主である石井五郎長勝公が日蓮上人に帰依し日除と名乗り、弘長三年(1263年)に自身の邸内に寺を建てて日蓮聖人を開山にした寺である。 京都本圀寺の前身と伝えられており日静の代貞和元年(1345年)に寺号(本圀寺)が京都に移った後に石井山長勝寺と号した。 本堂前の広場には高村光雲作の像高八メートルの巨大な「日蓮聖人像」があり、その回りに仏教における守護神で帝釈天に仕える「四天王像」の持国天像・増長天像・広目天像・多聞天像が配置されている。 長勝寺の境内には室町時代の創建当時の建物である法華三昧堂があり、神奈川県の指定...
Read moreちょうど、法事の真っ最中のようで、山門をくぐると南妙法蓮華経の読経が聞こえてきました。 本堂前の広場には、上野公園の西郷隆盛像で有名な高村光雲作の巨大な日蓮聖人像があります。さらに、日蓮聖人像の周りには、四天王の持国天、増長天、広目天、毘沙門天が、聖人を護るように立っています。 この地の領主・石井長勝が日蓮聖人に帰依し、日除と名乗り、弘長3年(1263)にその邸内に寺を建てたそうです。 日蓮聖人は、文応元 年(1260)に『立正安国論」を執筆され、7月16日...
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