いつかは行こうと思いながら、駅から離れていることもあり、先延ばしにしていましたが、「鎌倉殿の13人」の年の内にと思い定め訪ねました。 場所が分かりにくいので、地図を片手に狭い路地を歩きながら探し当てました。住宅街にある小さな神社で、ここが由比若宮と言われなければ、この地域の氏神様と勘違いしそうです。 まずは、お詣り。参道を挟むように2本の大きなイチョウが植えられています。賽銭箱には丸に鶴のマークが入っていました(鶴岡八幡宮と一緒ですね)。また、境内には、「源義家公...
Read more▼住宅街の中の一角にある小さなこの社が、源氏が鎌倉とゆかりが深くなるきっかけの神社です。ここが鶴岡八幡宮の起源なのです。 ▼奥州(東北)における前九年の役が終わった1063年、源頼義(よりよし)が与えられていた鎌倉のこの土地に石清水八幡宮若しくは壷井八幡宮から勧請したとあります。 ▼頼義は、前九年の役の途中で陸奥将軍の任期が終わり、一度関東の所領である鎌倉へ戻り、1058年、再度軍備を固めて奥州へ安倍氏を滅ぼすために出征しました。出征前、この社に戦勝祈願をし、「もし安倍氏を滅ぼすことが叶った場合、石清水・壷井等の源氏ゆかりの大きな八幡から勧請差し上げます」と誓ったのでしょう。 ▼これは現在杉並区にある大宮八幡宮も同じ(奥州へ出征する途中、杉並区のこの土地でも誓った)ようです。 ▼更に鎌倉のこの社から奥州へ行く街道十里(40㎞)毎に、八幡神社を一社ずつ造りますと誓いを立てながら、幣帛(へいはく)を立てて行ったようです。これは現在川崎の稲毛総社が、ちょうど鎌倉から40km、立派な白旗八幡が建っています。 ▼この小さな社を、鎌倉入りしたばかりの頼朝が、鎌倉を源氏の都とすることの象徴として、鎌倉の奥(小林郷)へ1180年に移設したことが今の鶴岡八幡宮となっているのです。 ▼この社の辺りを由比郷鶴岡といったことから、「鶴岡八幡宮」と名前まで移動したことになりますが、この社の辺りは長らく湿地帯であったことから、まさに1000年前は鶴がこの辺りに飛来していたのかもしれませんね。 #localguides #japanlocalguides #マ...
Read more源氏の主流として後の源頼朝に続くことになる河内源氏2代目棟梁源頼義が前九年の役の勝利に感謝するため京都石清水八幡宮から由比郷に勧請して創建した社。源氏と鎌倉のつながりはまさにここから始まることになるのだが1180年平家討伐の本拠地として鎌倉を選んだ源頼朝はその象徴である由比若宮を山を背にした天然の要害の地である現在の小林郷に移した。そのため現在の社が鶴岡八幡宮と呼ばれるのに対し由比若宮は元八幡とも呼ばれている。また現在の由比若宮のある北側の一画は大正時代には小山別荘と呼ばれ所帯を持った芥川龍之介が別棟を借りて住んでいたことでも有名である。8畳2間に3部屋と湯殿、台所があり庭には池があったというから25歳の若き龍之介の環境は借家とはいえ信じられないほど夢のような生活であったと想像します。この頃の芥川の新しい生活について彼が亡くなったあと見つかった言わば自伝ともいえる「或阿呆の一生」にわずかながら登場しますが当時の芥川の気概を感じずにはいられません。今は当時の建物を見ることはかないませんが何か新しいことを始めるときなどここに立ち寄って当時の芥川の想いを偲んでみるの...
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