写真の撮影日時は2025.10.21(火)12:55~16:05。つまり、約3時間こちらに滞在したことになる。時間が掛かった理由は2つ、一つに日像菩薩御廟に至る前に勘違いして墓地内を廻ったこと、もう一つは、このお寺は山号が深草山ジンセンザンといい、七面宮、七面大明神と呼ばれるエリアは日像菩薩御廟よりも悠(はるか)に上にあり、また、沢山の神々が点在しているのでお参りに時間が掛かったこと、加えて膝が悪く、登ってゆくときは持ち前の探訪好きが功を奏してどんどん上がっていったが、降りる際は手すりを持ちながらそろりそろりと降りたので思いのほか時間が掛かった。“宝塔寺”として写真を掲載するのは、①宝塔寺正門付近②山門③本堂及び多宝塔④日像菩薩荼毘処及び山の中腹の廟所と鬼子母神堂(千仏堂)までとし、塔頭寺院、七面大明神と沢山の神々、三十番神堂などは、別に投稿することとする。わたし以外に参拝していたのは恐らく4名ほどで、日像菩薩廟所にインバウンドの旅行者2名、七面大明神手前の鬼子母神堂内に少し腰掛けられるところがあり、休憩していると上から茶色い毛色の犬を連れた男性が降りてきた。「こんにちは」と声を掛けると「ご苦労様です」という返答が返ってきて何だか面映ゆかった。また、帰りは元の道ではなく仁王門手前から左側の道を降(くだ)ったが、なんと“深草の元政上人”の瑞光寺に行き着いた。昨日(2025.10.21火曜)は瑞光寺内には参らず、門前の“元政上人遺跡”のみ写真を撮った。そして、毎度の方向音痴にて元政上人のところからは駅(京阪電鉄龍谷大前深草駅)とは逆方向(藤森方面)に歩いてしまい、このまま行けば“深草十三帝陵”へも行けると思ったが、足の疲れはピークに達しており、三人の男性に道を尋ねて、お蔭様で宝塔寺前まで戻った。また、最寄り駅を先述の龍谷大前深草駅として、事前に行き方を Google map で調べたが、結局一度も map を開かず、navi も頼まず、調べた行き方ではなく、線路( JR 奈良線)沿いの小道を歩いて、全く迷わず辿り着いた。これは大袈裟だが奇跡的で、尊敬する日像聖人の廟所にお参り出来たことは感激だった。そして、日像というと“大本山妙顕寺”(京都市上京区)の事ばかり頭にあり、廟所がこちらにあることを知ったのはつい最近のことである。以下にごく簡単に深草山宝塔寺についての基本データを記す。参考は Wikipedia...
Read moreBeautiful and Serene Temple, 15 minute walk south of Fushimi Inari Taisha. The grounds and structures are well maintained, with pathways leading up to the Shichimengu Shrine. Spending an early Autumn Morning here was one of the highlights of my...
Read more宝塔寺(深草山宝塔寺)は、京都市伏見区深草に位置する日蓮宗の寺院で、平安時代初期に藤原基経が創建し、息子の藤原時平が伽藍を整えた極楽寺を前身としています。その後、鎌倉時代の1307年(徳治2年)に住職の良桂が日像上人に帰依し、日蓮宗に改宗。これを機に寺名も「宝塔寺」と改められました。日像上人は日蓮宗を京都で初めて布教した僧であり、その廟所が境内にあることから、この寺は日蓮宗の歴史的な拠点として重要な位置づけを持っています。 境内には国の重要文化財に指定されている本堂、多宝塔、四脚門があり、それぞれが歴史的価値を持っています。特に多宝塔は室町時代中期に建立されたもので、京都市内最古のものとされています。また、本堂裏手の七面山には七面大明神を祀る七面宮があり、ここからは伏見の街並みや西山の山々を望むことができます。この七面宮は近世には関西地域における七面山信仰の拠点として栄えました。 さらに、宝塔寺は『源氏物語』第33帖「藤裏葉」にも登場するなど、文学的な背景も持つ場所です。かつてこの地が極楽寺と呼ばれていた名残は、現在も「深草極楽寺町」という地名に見ることができます。また、歴史的転換点として、この寺は真言宗から日蓮宗への改宗を通じて仏教文化の多様性を象徴する存在でもあります。 アクセスは京阪電車「龍谷大前深草駅」やJR奈良線「稲荷駅」から徒歩圏内と便利で、観光地としてだけでなく静かな参拝場所としても親しまれています。宝塔寺はその長い歴史と文化的背景から、多くの人々に深...
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