聖護院門跡は、野山に分け入って修行する「修験道」を実践する、本山 修験宗 (ほんざん しゅげんしゅう) の総本山。自然の中に仏の教えを観るという山伏の信仰を現代に伝えるもの。
京阪電鉄 神宮丸太町駅 4番出口を出て、左側へ京大の施設の横を進み、京大病院の出入口前の信号を渡ってすぐ。徒歩10分くらい。
門跡 (もんぜき) とは、皇室や公家の方が出家して住職を務めたお寺のこと。聖護院門跡には、皇室や摂家 (せっけ) より多くの方が入寺しました。また、江戸時代に起こった、天明の大火 や 京都御所の火災 の際には光格天皇や孝明天皇が仮御所としたり、聖護院門跡と皇室は深い関係にありました。
聖護院 八ツ橋の発祥地だけあり、お寺に近づくにつれて、ニッキの香りが町中に漂います。付近の住所の頭に聖護院が付くだけあり、かつては広大な「聖護院の森」と呼ばれた中に、お寺があったそう。
御朱印は寺務所にていただけます。ご本尊の不動明王の梵字に法螺貝の朱印と、神変大菩薩 (じんべん だいぼさつ) の二つがあり、その他の各霊場の御朱印を希望する方は、受付にてお申し出下さいとのこと。
神変大菩薩は、1799年 (寛政2年) に光格天皇から、7世紀 (飛鳥時代) に実在したとされる、山岳信仰の第一人者であり、修験道の開祖たる 役小角 (えんの おづぬ) に送られた諡号 (しごう)。
通常参拝は無料。山門を入ってすぐ右側に白州の庭があり、その奥に見える本堂と、寺務所内の御朱印 受付前の階段を登ったところにある2階 仏間が参拝可能。本堂へは、白州の庭の左側に見える、光格天皇の仮御所になった宸殿 (しんでん・通常非公開) の前を、庭に入らないように、ロープに沿って行きます。
2階 仏間は止観 体験会などが開催できるように、広い空間となっており、毘沙門天・阿弥陀如来・役行者 (えんの ぎょうじゃ)・不動明王 等の像が祀られています。聖護院門跡には、4体の不動明王像があり、2階 仏間の像が最古 (平安時代) のもの。
秋などに行われる特別公開は有料。宸殿...
Read moreI am very close to the sect of this temple! Shugendo hozan ha! From outside it doesn’t look so attractive but it is a huge part of the Kyoto buddhism, they have lot of national treasures and many Movies/séries are short there
Surrounded by lot of others good...
Read more聖護院門跡への参拝が一生心に残る出来事となりました。何とTVに出演されておられたお坊様に寺務所前でお会いしご挨拶を頂いたのです。オーラと以前TVで本堂と宸殿にてご説明をされておられたのでご住職と思いご住職にお会いし感激である事お伝へすると、隣りのお寺の住職である事を気さくにご返事を頂きました。帰宅後調べると積善院(五大力さん)のご住職であり聖護院では執事長でお偉い方にも関わらず私達夫婦に物差しを合わせて、また緊張している事をお察し頂き学生時代の話し等共通の話題で気持ちをほぐして頂きました。その後、寺務所にてお不動さんのお札を頂いたのでご本尊の不動明王にお札を持ってお参りして帰るつもりが突然の大雨でお堂前で雨宿りを余儀なくなった所に堂内より執事長が来られご本尊の目前まで呼んで頂きお参りさせて頂きました。しかも宸殿までお誘い頂き聖護院は幾度か火災に見舞われ岩倉に寺を構えた時に廃寺にあった不動明王が社務所二階に祀られていた不動明王、ご本尊よりも古い仏像である事や三体の不動明王像の光背の火炎の中に1.3.5羽の鳥がそれぞれのお不動さん掘られており、その数字は煩悩の数で火の鳥が弱き者人間が起こしてしまう過ちを焼き尽くしてくれる、右手に持たれている両刃の剣や左手の羂索で正しい智慧で邪悪な心を断ち切り救って下さる、また巻髪は色々な人種、人を表しておりそれを一つに束ねているのがお不動さんの髪型、怖い顔は子供を叱る親と同じで決して見返りを求めるものでは無い、お不動さんにしても観世音菩薩等仏様はお姿、持ち物一つ一つに色々な意味を表現してあり慈悲深い物である等等、仏様の見るところや観方が変わるであろう知識を教えて頂きました。普通ではあり得ない目の前での仏様の拝観、解りやすくお教えを頂き感動の有難い時間を下さいました。歓迎のお出迎...
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