Kosui ( Shimogoryo Shrine ) 下御霊神社の香水
Just a little south of Nashinoki Shrine on Teramachi street is Shimogoryo Shrine. Located very close to the south / east corner of Teramachi / Marutamachi intersection. its Chozu-sha is equipped with a special motor just like Nashinoki shrine for the visitors to fill their bottles quickly but this one is super powerful that fills up 20 litters in a minute or two.The quality of the water is almost just as great as Water of Somei. There is a cozy sitting space near the front gate so you might want to enjoy yor freshly filled bottle to take a refreshing break in the sacred atmosphere. The shrine precinct is looking very classic with many ancient structures. if you are lucky you may come across Massy around 6:00 a.m. filling his 20 litter water tank. Please say hello and give your opinion. I am probably more friendly than you may expect so don't hesitate! ( Trans-word+ : TGM...
Read moreI stumbled across this shrine while on a mission to find bagels. It was in the same neighborhood as our hotel. If you're looking for the biggest, most well known shrine this isn't that. But if you're looking for a peaceful neighborhood spot, this was rather lovely. I'm a big proponent for seeing how the locals go about their daily routines when exploring a city and I am very glad I made a visit. Also, the man in the temple shop and I shared a moment of shared amusement as I had to duck through some low hanging trellises to reach him....
Read more…古(いにしえ)の朝廷、皇族の中の非業の死を遂げた方々をお祀りしている、ということすらほとんど知りませんでした。そして、2025.08.17(日)に革堂行願寺を訪れようとして河原町丸太町のバス停を降りて適当に入った小路の右側にあり、なんとなく入った、というのが正直なところです。なかなか味のある神社で、“クジ運”の全くないわたしがこちらの神社で引いたおみくじは小吉だった。「凶を引いた場合はここに(おみくじケースの近くの、棒に縄を張ったもの)括り付けて厄を払ってください」と書いてあり、わたしは小吉だったので有難く財布にしまった。こちらの神社の印象は、と言えば枚挙に暇がないが、ごく簡単に垂加社(猿田彦社)のことを記す。垂加社はスイガシャと読むらしいが、江戸期の儒学者、神道家の山崎闇斎先生が先ずは出家して、のち蓄髪して還俗し、朱子学の土佐南学(海南学派)を学び、のち吉川コレ足(毎度の漢字が見当たらないので、Wikipedia の吉川コレ足、山崎闇斎、吉川神道などの項を参照してください)より吉川神道を学び、そののち垂加霊社(スイカシデマスと読むそうです)を唱えて垂加神道を大成した、ということは少しだけ識っていた。何故識ったかというと、最近“暦”について調べていて、日本独自の暦というのを調べると渋川春海(安井算哲と同一人物)という人が出てくる。山崎闇斎は、渋川春海の師の一人である。…前置きが少し長いが、08.17、帰宅後 Google map に写真を掲載しようと思って加工していると、この山崎闇斎先生の垂加社のところで画面がフリーズした。フリーズしたのは恐らく5~6回で、今まで何度もフリーズしたことがあるが、垂加社が恐らく断トツである。闇斎先生は湯武放伐(殷の湯王、周の武王など次の天子となるべき有徳の諸侯が暴君や暗君を討伐し都から追放すること)や易姓革命(古代中国において起こった孟子らの儒教に基づく五行思想などから王朝の支配を正統化する理論)を否定し、君臣関係に厳格で、大義名分を重視した。彼を師と仰ぐ者は貴賤の別を問わず朝廷から庶民まで幅広かったし、影響をあたえた弟子たちに公家やときの天皇に影響を与えた人々も居て戦時中も皇国高揚などでその教えを引用されたようである。わたしは、仏教をほんの少しだけ囓(かじ)った者で、神道もユダヤ教もキリスト教もイスラム教も何も分からない。しかし、神社にはいろいろな神々がいるがお参りすれば有難く思うし、下御霊神社や革堂行願寺のあと偶々入った聖フランシスコザビエル聖堂(京都市中京区)のキリストさまやマリアさまの前に立てば聖堂内に静かに流れる聖歌も相まっていつもとは違った複雑な感情に心が満たされる。そのときにわたしの前に居ます日本古来の神々も聖堂にいるキリストさまも恐らくそこに在って然るべき存在だから疑念の余地はないのであって、そこに優劣やどの教えの歴史の古いとか新しいという考えも正しくはないだろう。ただ一つだけわたしが思うのは縁が有るか無いかということだけである。しかし、何かの教えに導かれるというのは恐らく過去の行いや信仰が記憶の底にあるからかもしれない。最後に山崎闇斎の生没年などを記す。Wikipedia...
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