宮城県 宮城郡 松島町 松島町内 に境内を構える、天麟院、伊達家縁の菩提寺で有名な 天麟院、陽徳院、円通院と並んで松島の三霊廟に数えられています、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2024に 三陸三十三観音霊場 巡礼にて参拝致しました、敷居が高い寺院に感じました、拝観も説明等も無いです、朱印等も一切行ってません、せめて巡礼者には墨書き無しでも 札所印、法印、寺号印 (自分で押すセルフ式、書き置き)だけでも対応して欲しい物です、参拝しづらく感じ直ぐに帰りました、観光地の 松島に在り由緒在る寺院だけに非常に残念な寺院様で また行きたいとはとても思えませんでした。どの様な寺院か引用を用いて調べて見ました。寺号 院号は 天麟院、宗旨 宗派は 臨済宗 妙心寺派、ご本尊は 釈迦牟尼仏、三陸三十三ヶ所観音霊場 第二番札所 札所本尊は いろは観世音菩薩 (聖観世音菩薩)、伊達政宗と正室であった 愛姫天麟院、五郎八姫霊廟の間に生まれた唯一の娘である五郎八姫の菩提寺で境内には五郎八姫の霊廟があります。案内板によると「五郎八姫は、仙台藩62万石の領主である伊達政宗の長女で、徳川家康公の第6男である高田藩61万石の領主松平忠輝公の正室である五郎八姫は、万治元年5月8日没。享年68歳、法諡を天麟院 殿瑞雲全 祥尼大姉と号す。寛文3年伊達家4代綱村公によって霊屋が創建され、瑞巌寺代100世天麟院開山洞水和尚の書になる「定照」の扁額が掲げられた。明治2年霊屋が解体、明治22年7月14代伊達宗基伯爵の墓銘になる墓が建立され、仮霊屋として現在に至る。・・・(後略)天麟院」とあります。 松平忠輝は無骨の武将として知られ、大坂の陣などに参加しないなど幕府と対立し改易させられ、五郎八姫は離縁し仙台藩に戻り仏門に入り尼となりました。天麟院洞窟群霊屋背後には「天麟院洞窟群」と呼ばれる洞窟があり、案内板によると「本堂上の霊廟背後には凝灰岩壁を掘削、加工した5つの洞窟があり、北から数え、第1窟は、伊達政宗の3男伊達河内守宗清を供養した塔があり、寛永年間の伊達一族の供養塔があります。第2窟は政宗の4男岩出山領主伊達三河守宗泰の供養塔を中心に、左右に10人の殉死者の塔があります。その他、天麟院歴代の住職の墓があり、入口には弘安7年(1284)の板碑もあります。 松島町教育委員会」とあります。境内に生える「はりもみ」は推定樹齢300年以上、樹高40m以上、幹周4m、枝張東西20m、南北13m以上、昭和45年(1970)に松島町指定天然記念物に指定されています。歴史的建造物、寺院、仏像、神社巡り、絶景、景色撮影、パワースポット、日本庭園、観音霊場巡礼、諸願成就、祈願、宮城県 宮城郡 松島町...
Read more天麟院は、伊達政宗と正室愛姫の間に生まれた五郎八姫の菩提寺です。
五郎八姫は大変美しく聡明であり、「五郎八姫が男子であれば」政宗公が言ったと伝えられています。
10歳代前半、徳川家康の六男、松平忠輝と結婚したけれど、2年後に忠輝の領地が領地没収となり、政略離縁させられます。
以後、政宗のもとに戻り、晩年に出家。出家後は天麟院を名乗り、享年68歳で亡くなりました。
この時代の結婚は想像することしか出来ませんが、政宗は彼女を手元に置いておきたかったのかも。 そう思うと、穏やかに過ごせたのですから、不幸な人生と言う訳ではなかったのかもしれません。
院は、きちんと手入れされていて、あまり人の出入りもないので、ゆっくり過ごせます。
家族が、足が悪く霊廟までは、登れませんでしたが、とても落ち着く場所でした。
猫寺としても、有名で数匹...
Read more伊達政宗の長女であった五郎八(いろは)姫の菩提寺が天麟院です。瑞巌寺や五大堂等の観光スポット的な寺院が多い松島の中では地味な存在です。 拝観料等もかかりませんが境内は勝手に見て廻ると言った感じです。(そもそも広くないので見て廻る箇所も少ないですが……😢) ちなみに五郎八姫の墓所は寺院の入り口とは別に脇の階段を上がっていくカタチです。かなり急な階段ですので注意が必要です。 政略結婚ですが、家康の息子であった松平忠輝に嫁いだ栄華(但し後に離縁)とは思えない程の静かな墓所となっています。離縁後はひっそりと暮らしたとの事ですが時代の...
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