京都観光に来た友人がどうしても気になるとのことで、旅行ルート的からしてもランチにまあまあ良い立地だったので初来店。
口コミを見てかなり待つお店らしいと予想し三連休の中日だったので10:50にはお店に着くように行動。10:40頃に到着し移動に使用していた自転車がお店前に置けそうにないので近くに置いてきて10:50頃にまたお店に戻りました。
私たちが1組目で直後に2組目が並びだんだんと列になるものの、11時になっても15人並んでいない位で少し拍子抜け。 これならもっとゆっくり来ても1巡目に余裕で入れたのではと友人と話しつつ、開店の11:30までにおよそ30人弱が並んでいた気がします。
開店と同時に店内に案内され席に着き人数の確認のみでしばらくしてから人数分の親子丼が運ばれてきました。 事前に口コミを見てメニューが1品しかないので注文を聞かれることはないと私たちは知っていましたが、下調べなしで来たお客さんは戸惑っている人もいました。
席はおそらく2階にしかなく、私たちが唯一の3人組で他は2人組で合計9組?が着席。 1巡目で入れるのは20人ほどまでのようです。 1組目の私たちと2組目のカップルに同時に親子丼が提供され、その後もある程度まとめて持ってきて何組か同時に提供する形でした。 だんだんと持って上がってくる個数は増えるものの、一度提供した後に次の親子丼を持ってくるまでかなり時間がかかっていました。
最初に商品を提供された私たちとカップルが食べ終わって帰るまでに1巡目の最後の方のお客さんにまだ商品は提供されていなかった気がします。 (口コミ通り量が少なめなのと外に行列があるので早めに食べてすぐ出たのもありますが) そのため結果的には早めに来て正解でした。
生卵と山椒が苦手な私はそれぞれ抜きにしてもらおうと思っていましたが伝えるタイミングを逃し、いつの間にか親子丼が提供されてしまいました。 ですが生卵はうずらの卵で存在感があまりなく、山椒も強く香らないものでむしろそのままで良かったです。
親子丼は繊細な味でかといって薄味でもなく、とてもまろやかで鶏肉も卵も全てが調和していました。 バランスの良い味で何かが突出して目立っていたわけではないのですごく美味しかったのに説明が難しいです。 友人と美味しさに感動しました。
口コミ通り量は少なめで少食な方にちょうど、普通の量を食べる方には腹7分目、大食いの方は2杯食べられるくらいかと思います。 その日は今宮神社のあぶり餅をおやつに食べ、夜ご飯にかなり量の多い店を予約していたので私たちのお腹には丁度良かったです。 朝昼兼用で食べに行き夜ご飯まで飲食の予定がない場合は物足りないかと思います。
すごく美味しかったので観光で京都に行く人には動線さえ合えばお勧めします。 京都に住んでいる人にランチで行って来なよと勧めるにはコスパ(値段が高いというより量が少ない)と立地があまり良くないので考え所です。
味はとにかく美味しいですがコスパと待ち時間もネックなので、私は京都に住んでいて気軽に行ける距離でも年2回行くか行かないかだなという感じです。 ただ定期的には食べたい味です。
【再訪時】 平日の11時過ぎに到着して4組目でした。 11:30のオープンまでに並んだ中で一巡目に入れなかった人もいたようです。 前回は1組目なのですぐでしたが今回4組目で座ってから提供まで少し時間が空いたので、観光の時間に余裕がない方は早めに来て1組目で入店するのが1番早く済むと思います。
今回も最初に親子丼を提供され早めに食べて帰宅した方より後に一巡目の最後の方に親子丼が来ていました。 といってもかなり時間のかかる鰻屋さんとかよりはスムーズです。
味は前回の感動レベルまではいかず、まあまあ美味しいレベルでした。 今回はちょっと味が濃く、作る人や卵の味などタイミングで多少違ってしまうんでしょうね。
親子丼の味が濃いめだったからか前回すごく美味しく感じたスープもそこまででした。 あと米の量が多かったような?
そして今回はじめてお手洗いを利用しましたが他所で行った方が良いと思います… 廊下沿いで通る人に確実に聞こえる扉の薄さと覗き見出来るほどではないものの隙間もあって落ち着きません。 また水で手を洗えずアルコール消...
Read more【人生最期の食事を求めて】古の静寂と深い旨味を称えた京の親子丼の極み。
京都を去る日の朝、私は無目的に北へと歩を運んだ。 関西特有の力強さを取り戻した陽光が、古都の甍を照らし、季節の輪郭をゆるやかに濃くしていた。
やがて、道の途上に現れたのは京都市役所である。 1027年(昭和2年)に竣工された本庁舎は、ネオ・ルネサンス様式に則った堂々たる意匠を宿し、石造風の重厚な外観は左右対称の構成と中央の時計塔とによって威厳を湛えていた。 凡庸な行政建築の枠を超え、この建物には古都が近代と手を取り合わんとした意志の痕跡が確かに刻まれていた。
さらに歩を進めると、気づけば私は京都御苑の松林を踏みしめていた。 794年、桓武天皇の遷都に始まる王朝の記憶は、この地に濃密に沈殿している。 大内裏の廃絶、応仁の乱による荒廃、里内裏の転々たる歴史を経て、江戸時代に整備された御所は、1869年(明治2年)の東京遷都により空き御所と化し、やがて明治政府のもとで「京都御苑」として再編された。 今では環境省の管轄のもと、梅や桜、楓の樹々が四季を映し、鳥のさえずりと人々の靴音とが交錯する静かな憩いの場となっている。 人為の記憶と自然の息吹とが渾然となったこの地を歩くうちに、私の胸中には14年前の記憶が蠢き始めた。 京都を代表する親子丼。 その繊細な旨味の印象が、忘却の底から泡のように浮かび上がってきたのである。
時計の針は10時半を回っていた。 十分な余裕を感じながらも、私の足は自然とその老舗を目指し、歩を西へ向け始めた。
西陣。 この地名の由来もまた応仁の乱に発し、西軍の陣が置かれたことに因る。 戦乱後、再び織物業が芽吹き、やがて「西陣織」として全国に名を馳せた技の都である。
一本裏路地に踏み入ると、そこには銭湯や商店、仏閣が連なり、いわば観光の表層とは異なる京都本来の生活が今もなお息づいていた。 やがて私は目的の店の前に立った。 午前11時であった。 まだ暖簾もかからぬその静寂の中で、記憶の襞から徐々に浮かび上がってくるものがあった。 京町家の佇まい、畳の座敷、欄間に坪庭、そしてあの日、偶然相席となった某女性アナウンサーの物静かな笑み。
現実へと引き戻されたのは、背後に生じた行列の気配であった。 11時30分、暖簾が掲げられ、優しげな声音が私を店内へと誘った。
狭く急な階段を上り、窓辺の最奥の席に腰を落ち着ける。 メニューは親子丼のみという潔いまでの単一性は、もはや決断すら不要とする。
庭の緑をぼんやりと眺めるうちに、親子丼はやってきた。 その姿は14年前の記憶と寸分違わぬものであった。 淡く黄金色に染まった卵、しっとりと照る鶏肉、中央に据えられた生卵の儚い輝き。 箸を手に取り、一口含んだ瞬間、優しい出汁の香りが口中に満ちた。 昆布と鰹節の旨味が幾重にも折り重なりながらも、決して強調しすぎることなく、ご飯の粒を優しく包み込む。 つゆの加減も絶妙であり、過不足のない品格を保っている。 炭火風味の鶏肉は、やや野趣を帯びつつも生卵と溶け合い、滑らかな旨味のグラデーションを導いてゆく。 添えられた鶏ガラスープの清らかな琥珀色にも、料理人の矜持が感じられた。 私は、一口ごとにその味と空間とを記憶の奥深くへと刻みつけるように、静かに箸を進めた。
食を終え、階下に戻って千円札を差し出すと、私の食事の終わりを見計らったかのように、新たな客たちが次々と2階へと吸い込まれていった。
西陣の老舗にまで辿り着いた労苦は、この一杯によって余りあるほどに報われた。 私は強くなった日差しを正面から浴びながら、残された京都の刻を名残惜しむよう...
Read moreCute and quirky old house with one thing on the menu: oyakodon (chicken, egg and rice). So no need to order. It comes with a stock soup, which I was told by some friends to my right, I should drink first. It was far tastier than I expected, comfort food in a quiet atmosphere overlooking a garden. 900¥ later and a stroll around the neighbourhood, I’m feeling very satisfied! It might be a bit out of the way for some people, but my guesthouse was round the corner and I’m thinking of going...
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