西南戦争の明治10年(1877)9月19日から同24日未明に至る6日間を西郷南洲はここの洞窟で起居しました。薩軍と政府軍との城山攻防戦という西南戦争の最終段階であり、政府軍の城山包囲網の中、西郷隆盛はこの洞窟で過ごし、最後まで薩軍の指揮をとっていた場所として、重要な史跡です。現在の洞窟の規模は、奥行きが4m、間口が3m、入口の高さは2.5mです。昭和49年(1974)、鹿児島市の記念物(史跡)に指定されました。駐車場はありません。洞窟の側にお土産店があり、地下1階が薩摩切子や屋久杉などの高価なお土産とともにふつーのお菓子のお土産も雑多に売ってます。店番のおばちゃんが薩摩切子の高いやつを触らせてくれます。どっちがすごいのかなぞなぞを仕掛けてきますので、まるっこいほうがおばちゃんにとってはすごいらしいので、とりあえずまるっこいほうが凄いと言っておきましょう。しかし、説明を聞くと、軽い方が薄いので加工が難しいはずなんだけどなーとも思えるので、安請け合いしない方がいいかも知れません。そんなもん好みです✨。1階は革製品を中心にアーリーアメリカン的な小物が売られています。雑貨やさんですな。二階はその革製品をつくる加工場らしく、二階に上がろうとすると「皮しか売りよらんばい」と言われます。革製品をもっとたくさん見たかったです。素敵な財布が売ってたのでいくらか尋ねると12000円とふっかけられました。なので、値切ったら、消費税だけ安くしてくれました。10000円にまけてくださいといえばよかったかもしれません。しくじりました。でも、ハンドメイドの素敵な財布だったので、まけてもらえなかった2000円分は製作された革細工職人さんに渡してほしいです。けっして、店番のおばちゃんの時給に...
Read more雨の降りしきる3月。洞窟の前に静かに佇み、南洲翁を偲ぶのみでした。 あれから4年近く経過しますが、今でも何とも言えない思いがよみがえります。49歳で没するまでに、あれだけの偉業を成し遂げられた西郷南洲翁について、もう少し多くの日本人が思いを致すべきでしょう。 A rainy March. I stood quietly in front of the cave and only remembered Nanshu. Nearly four years have passed since then, but I still have a feeling that I can't say anything about.I think more Japanese people should think about Nanshu Saigo, who accomplished so many great things before he died at the age of...
Read more西郷隆盛洞窟を訪問してきました。こちらは西南戦争の最後の司令部として使われた歴史的に重要な場所です。展示されている説明板には、1877年の明治10年9月24日に起きた政府軍による城山総攻撃の様子が詳しく記されていました。
西郷率いる薩軍はわずか300名ほどだったのに対し、政府軍は4万人もの兵で包囲していたそうです。西郷はこの洞窟で5日間を過ごした後、桐野利秋や別府晋介など私学校の幹部たちと共に出発したとのこと。妻のイトが縫った縞の単衣に白い兵児帯という出で立ちで岩崎谷を下る途中、不運にも流れ弾が西郷の腰に命中し、別府の介錯により49歳の生涯を閉じたと記されていました。
西南戦争は不平士族の反乱が続く中、西郷を慕う私学校の生徒たちが政府の挑発によって引き起こした暴動から始まったようです。2月から7ヶ月にわたる戦いの末、近代兵器を持つ政府軍に敗れ、西郷は故郷の城山でその生涯を終えました。
説明板には西郷隆盛、桐野利秋、別府晋介の写真も掲載されており、勝海舟の「ぬれぎぬを干そうともせず子供らがなすがままに果てし君かな」という詩が添えられていました。西郷の生き様と最期を偲ぶことができる貴重な史跡だと感じました。歴史に興味のある方には是非訪れ...
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