兼六園内にある「翠滝(みどりたき)」は、兼六園を代表する景勝の一つだ。園内最大の滝であり、江戸時代中期、加賀藩11代藩主・前田治脩(はるなが)の時代に整備されたものだ。
兼六園の前身となった「蓮池庭(れんちてい)」は、元々、加賀藩5代藩主・前田綱紀(つなのり)が1676年に築いた庭園だったが、宝暦9年(1759年)に発生した金沢大火で大きく焼失した。その後、治脩が庭園再興を命じ、安永3年(1774年)に築かれたのが翠滝だ。
翠滝は高さ6.6メートル、幅1.6メートルを誇り、その豪快な姿は他の大名庭園にはない雄大さを持つ。水源には犀川(さいがわ)から引かれた「辰巳用水(たつみようすい)」を活用し、霞ヶ池(かすみがいけ)から落ちる水を瓢池(ひさごいけ)へと落下させている。
滝の造営にあたって治脩は、日本三名瀑の一つである「那智の滝」を手本にしたという。滝の造りには特別なこだわりがあり、治脩が最初の出来栄えを視察した際、「滝の幅は十分だが、水量が少なく、音の迫力も物足りない」と庭師に作り直しを命じたというエピソードが残っている。そこで庭師たちは、それまで下から石を積み上げて滝を組んでいた方法をやめ、「大きな石を上から落として自然な岩の配置に近づける」大胆な方法を試みた。さらに滝壺をあえて作らず、岩肌を伝い落ちる「布落ち」の技法を用いて、より迫力ある音響効果を生み出した。その結果、治脩も満足する壮大な水景となった。治脩は完成した滝を前に、「これほどの滝は見たことがない」と賞賛したとも伝えられている。
もともとこの場所には、七筋の細い流れからなる「七瀬滝(ななせたき)」という滝があったが、治脩が翠滝へと改修し、名称も変更した。また、周囲の松林にちなんで「松蔭滝(しょういんたき)」、さらに秋になると紅葉が美しいため「紅葉滝(もみじたき)」とも呼ばれるようになった。園内でも特に多くの楓が植えられており、秋の紅葉は京都・嵐山を模したものという伝承が残るほどだ。
滝の対岸には「夕顔亭(ゆうがおてい)」という茶亭があり、もともとは滝を鑑賞するための場所として建てられた。夕顔亭に座れば、目の前で流れ落ちる翠滝の水音を楽しむことができる。この滝の水音は、能楽(加賀宝生)でも「淀みなく謡う」ことを表現する際、「華厳(けごん)の滝のごとく」と例えられるほどだという。
翠滝と密接な関係を持つ兼六園は、金沢城の外庭として造営され、江戸時代の加賀藩の軍事的・文化的拠点としての役割も持っていた。隣接する成巽閣(せいそんかく)は13代藩主・前田斉泰(なりやす)が母の隠居所として建てたもので、翠滝と同じ辰巳用水を引き、小川や庭園を整備している。
また、園内に隣接する金沢神社は、治脩が藩校・明倫堂の鎮守として創建した天満宮が起源で、金沢という地名の由来となった金城霊沢(きんじょうれいたく)が境内にある。こうした周辺の史跡との歴史的つながりは深く、翠滝が兼六園の重要な構成要素の一つであることが分かる。
翠滝の造営に際して、滝上部には獅子頭に似た「獅子巌(ししいわ)」という岩が配置されていた。現在、この岩は園内の黄門橋付近に移されているというが、当初は滝口を象徴する存在として配置されていた。
兼六園の庭園美や設計思想を語る上で欠かせない翠滝は、単に美しい景観を提供するだけでなく、藩主や庭師たちの美意識や技術、試行錯誤が詰まった歴史的な水景であり、まさに兼六園の象徴ともいえる。園内最大の滝というだけでなく、その歴史を知ることでより深く味...
Read moreNo entre a suitaki porque ya era muy tarde pero se ve un lugar espectacular. Te sientas afrente del estanque, hay u a pequeña cascada y el jardín es al estilo japones. Vale la pena sentarse y...
Read more翠滝(みどりたき)は、兼六園の霞ヶ池から瓢池へと流れ落ちる高さ約6.6メートルの滝で、園内最大の水景です。1774年(安永3年)に11代藩主・治脩によって造られ、人工的な構造ながら、自然の地形を活かした設計となっています。豊富な水量と力強い滝音が特徴で、視覚と聴覚の両方...
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