駒札: 京都市指定有形文化財 壇王法林寺 本堂・西門・霊屋(二棟) 計四棟 「だんのう」の名で親しまれている壇王法林寺は、もとは天台宗に属し蓮華蔵寺と称していたが、文永九年(1272)、望西桜了恵がこれを浄土宗に改め、悟真寺と称したことに始まる。その後、永禄年間に焼失、廃絶したが、慶長十六年(1611)に袋中上人が当時を再興して、現在の名に改めた。 本堂は元文三年(1738)から寛延三年(1750)頃にかけて再建されたもので、彫刻、彩色等の装飾的要素が多用されている点に特色がみられ、また平面構成は江戸時代中期における浄土宗寺院本堂としては異色なものである。 西門は、本堂とほぼ同時期の寛延四年(1751)に造営された、朱塗の薬医門である。 霊屋は、墓地の北東隅に二棟並ぶ方一間の小さな建物で、東と西にそれぞれ開山、第二世の塔を収めている。いずれも後に補修した箇所が多いものの、造営年代は江戸時代前期と考えられ、小規模ながら質の高い建物である。 昭和五十九年六月一日指定 京都市
児童館や保育園もあります。夜間保育園は珍しい。祇園や飲食街の方がおおい地域ならではでしょう。 Piece tag: Kyoto City designated tangible cultural property Danno Horinji Main Hall, West Gate, Reiya (2 buildings), 4 buildings in total Danno Horinji, which is known as "Danno", originally belonged to the Tendai sect and was called Renkazoji, but in 1272, Ryoe Mochinishi changed it to the Jodo sect. It begins with the name Goshinji. After that, it was burnt down and abolished during the Eiroku era, but in 1611, the sack Nakajojin revived the time and changed it to its current name. The main hall was rebuilt from the 3rd year of the original Bun (1738) to the 3rd year of the Kanjo period (1750). It is unique as the main hall of the Jodo sect temple in the middle period. The west gate is a red-painted medicinal gate built in 1751, about the same time as the main hall. The sacred house is a small building with two buildings lined up in the northeast corner of the graveyard, and houses the Kaisan and the second generation towers in the east and west respectively. Although many of them were repaired later, it is considered to have been built in the early Edo period, and it is a small but high-quality building. Designated June 1, 1979 Kyoto City
There is also a children's house and a nursery school. Night nursery is rare. Gion and restaurants are more likely to be...
Read more法林寺 正式名称は、朝陽山 栴檀王院 無上法林寺(ちょうようざん せんだんのういん むじょうほうりんじ)。鎌倉時代後期、望西楼了恵(ぼうせいろうりょうえ)上人が悟真寺(ごしんじ)を創建する。応仁の乱で消失した後、袋中上人(たいちゅう)が現在の法林寺を創建する。 悟真寺時代に、了恵上人が、亀山天皇から「朝陽山」を賜る。 袋中上人は、福島県磐城(いわき)出身、中国に渡る途中、琉球(沖縄)に行ったが、中国には行けず、3年間琉球に留まった。現在の沖縄の伝統芸能エイサーは、袋中上人が伝えた念仏踊りにあるとされる。袋中上人は琉球を出た後、京都に入り、法林寺を創建する。 袋中上人は、琉球時代...
Read more日本最古の「黒招き猫伝説」があるお寺、沖縄に深い縁のあるお寺として、また境内の昭和25年(1950年)に設立された「だん王保育園」が日本で初めて「夜間保育」を開始したことでも知られています。
かつてこの地には念仏道場だった悟真寺(ごしんじ)がありましたが、応仁の乱をはじめとする度重なる天災・人災により焼失。その跡地に琉球から明にわたり、経典を学びに行こうとするも叶わなかった袋中(たいちゅう)上人が慶長16年(1611年)、この地に新しく檀王法林寺を建立しました。
本堂にはご本尊として阿弥陀如来立像が祀られていますが、それとは別に悪夢、防災、盗難の災厄から守ってくれる「主夜神(しゅやじん)」も祀られており、その使いとして、全国でも珍しく、また日本最古ともいわれる「右手をあげた黒猫」が置かれているのですが。その縁もあって住職が求めたり、奉納されたりした沢山の招き猫が他にもいることが猫ファンの間では知られています。
また袋中(たいちゅう)上人が沖縄に3年間滞在した時に明快な浄土宗の教えとして「念仏踊り」を普及させたのが沖縄の伝統芸能「エイサー」の成立に関わった事を縁に、沖縄から講師を招いてだん王保育園に「だん王エイサー隊」が結成されたり、平成18年(2006年)に屋根の修復作業をした際には沖縄の守り神「シーサー」が奉られた他、沖縄の関連イベントも定期的に行われています。
その他にも、まったく個人的な感想ですが。境内楼門内に設置されている、二十二世譲誉玄亮(じょうよげんりょう)上人が明治21年(1888年)の楼門新築に伴い購入した大阪和泉の興善寺旧蔵ものと伝えられている四天王像がアイドルのレディビアードに似ていて。少し気になって、いや、...
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