指月「しげつ」伏見城🏯は宇治川の観月橋の北側前方左右に広がっています。具体的な位置は未だ特定されてない幻の城と言われています。
天下をとった豊臣秀吉は聚楽第を秀次に譲って、1592年秀吉の隠居城として建立されています。その年に朝鮮出兵を始めています。
天主は淀古城の天主を移転したという説があります。 1596年直下型地震の慶長伏見地震で4年で倒壊しています。
指月伏見城は🏯、絵図が残されてなく、正確な位置も特定できない為「秀吉の幻の城」と言われてきました。
ところが400年経った平成27年「2015年」6月京都市伏見区泰長老のマンション建設予定地で指月伏見城の物と推定される石垣、堀、金箔瓦が出土しました。石垣の特徴から穴太積みであると特定されています。しかしながら慶長伏見地震で崩落した石垣石が発見されなかったのです。
期待に膨らませていた結果には、平成28年2016年11月19日福祉施設建設予定地から、長さ14.5メートル、高さ2.8メートル、6段から7段に積まれた、大規模な石垣が発掘されました。これには、慶長伏見地震の痕跡と見られる割れた瓦が見つかっています。
さらに期待の中にあって、2021年8月に泰長老のマンションから徒歩3分にあるJR奈良線桃山駅🚉の前ロータリー下から、徳川時代の武家屋敷跡のさらに下から指月伏見城の本丸かと考えられる石垣の基礎石や金箔瓦が発見されました。いよいよ本丸確定か今後の研究を待ちたいと思います。
泰長老のマンションは、観月橋の公団団地の一角にあり、ライオンズマンション桃山指月城として完成し、下から出てきた石垣をマンションの塀の側壁に積み直され見ることができるようになってます。
アクセスは、JR奈良線...
Read moreここに城があったらと、色々妄想できます。ここから坂を下った先は昔は小椋池だったわけで、琵琶湖、宇治川を通って、北からの富を積んだ小椋池を渡る船の商人達は、在りし日の琵琶湖の安土城をかさねたことでしょう。ならば、指月城はそれを超えていた(超えていなければならないと秀吉は思っていた)はずで、どれほどの城だったのだろうと。土木建築が大好きな秀吉さんですから、さぞや趣向の凝らしたものだっんじゃないかな。模造の鉄筋の城よりも、わずかな石垣だけの方...
Read more団地内の奥まった所の 棟のまえに展示してあります。太閤殿下秀吉公が 伏見城を最初に築いた 遺構が 最近の発掘調査まで 見つかっていなかった事から 「幻の城」とも言われていたが、野面積みの石垣などが発掘され 展示用の一部を除き、埋め戻されて 大切に埋没保存されているようです。伏見大地震で倒壊した建物の資材や石垣などの多くは、木幡伏見城(現 桃山御陵内 明治天皇陵墓辺りが本丸)を...
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