法華堂は、奈良時代に建立された東大寺に現存する最古の仏堂です。鎌倉時代に、入母屋造りの礼堂(らいどう)が増築されています。奈良時代創建時の正堂は寄棟造りです。異なる建築様式の調和が見られます。
仏像ここにあり。壮観です。 御本尊は、不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのんぼさつ)です。(乾漆造り)(国宝) 顔には縦についた第三の目があり、手には羂索を持ち、肩には鹿皮(ろくひ)を纏っています。 顔がひとつ、目が三つ、手が八本の一面三目八臂(いちめんさんもくはっぴ)です。「不空」は、空しからず。「羂索」は、左手に持つ縄のことです。世界の隅々まで見渡し、あらゆる人々を救うとされています。肩から鹿の皮を纏っていますが、子供を思う気持ちの強い鹿のように、人々への慈悲深さを表しています。
88センチもある宝冠がすごい。普通は銅製らしいのですが、この冠は総て銀で造られています。琥珀・翡翠・瑠璃・真珠・水晶など、二万数千個の宝石類で装飾されています。 宝冠正面の阿弥陀如来の化仏も銀製です。合掌した両手の間に「水晶」が見られますが、起源などは不明のようです。
因みに、観音菩薩は、人々の声を聞き取り救ってくれる仏様ですが、頭部や宝冠には、阿弥陀如来の化仏が装飾されています。それは、阿弥陀如来が人々を救うために、姿を変えて現れたものとのことです。
現在のお堂(正堂)は、須弥壇(八角二重基壇)に立つ不空羂索観音菩薩像の左右には、帝釈天像・梵天像を安置、正面には、阿吽の金剛力士像、前列左には増長天像、右には持国天像を安置。後列左には広目天像、右には多聞天像が安置され、御本尊の護りを固めています。これら全てが、国宝であり、乾漆造りです。 秘仏の執金剛神像は塑像です。いつもは、本尊背後の厨子に安置されており、毎年12月16日のみ開扉されています。(国宝です)
これらの配置には、少し疑問を呈する考えもあるようです。 不空羂索観音菩薩像は362センチです。ところが、脇侍している帝釈天像は403センチ、梵天像は402センチです。普通御本尊より脇侍している仏像が大きいことは不自然であるので、他から移されてきた客仏ではなかろうかと言われてもいます。
また他には、1996年~1999年にかけての調査では、不空羂索観音菩薩像が立っている八角二重基壇の下段に、八角形の台座が置かれていた痕跡が6ヶ所確認されています。これらは、東大寺ミュージアムに安置されている、伝・日光菩薩像、伝・月光菩薩像(ぞれぞれが塑像)と、東大寺戒壇院に安置されている四天王像(塑像)の計6体の台座と見做されています。 このことより、法華堂当初の安置像は、不空羂索観音菩薩像(乾漆像)、現在東大寺ミュージアムに安置されている伝・日光菩薩像、伝・日光菩薩像(それぞれが塑像)、現在東大寺戒壇院に安置されている四天王像四体(それぞれ塑像)、そして執金剛神像(塑像)だと考えられています。
(尚、2010年~2013年にかけて、須弥壇(しゅみだん)と仏像の修理がおこなわれています。)
御本尊については、また別の見方があり、「同じ塑像である執金剛神像」との説を採っています。執金剛神像は、170センチであり、伝・日光菩薩像、伝・月光菩薩像は、それぞれ約206センチで、本尊より高くなるが、八角二重基壇の下段か、須弥壇の上に安置されたとすれば問題ないと考えられているようです。
(木造の須弥壇は、八角形の下段(幅6メートル)に同形の上段(幅4・5メートル)が載っています。)
今回も、いくつもの文献を参考・参照させていただきました。
まだ解けない疑問点があるのですが、仏像の知識も足りない、時代背景も充分分かっていない。人々の思惑も推測の範囲内に過ぎません。少しずつ調べ...
Read more東大寺内で最古の建築物です。 二月堂に行ったらすぐ横にあり見れます
東大寺法華堂(さんがどう)、通称三月堂は、奈良県奈良市に位置する日本の重要な仏教寺院です。奈良時代に建立されたこの堂は、東大寺の一部として知られ、その歴史的な価値と文化的な重要性で広く認識されています。
東大寺法華堂の歴史と建立
東大寺法華堂は、奈良時代の745年に建立されました。この時期は、日本が平城京(現在の奈良市)に都を置いていた時期であり、仏教文化が盛んであった時期でもあります。法華堂の建立は、当時の天皇である聖武天皇の意向によるもので、東大寺の境内に位置しています。
建物の特徴と構造
法華堂は木造建築で、軒唐破風造の屋根が特徴的です。屋根の上には瓦が敷かれ、その形状や装飾は当時の技術と美意識を示しています。建物の内部には、多くの仏像や彫刻があり、仏教美術の重要な遺産を体験することができます。
三月堂の名称と由来
「三月堂」という通称は、法華堂の中で毎月3日に法会が行われることに由来します。この法会は特に、聖武天皇の遺徳を偲ぶために行われる重要な行事であり、堂内外で多くの信者や参拝者が集まります。この名前は法会の開催日に因んで名付けられたものであり、歴史とともに深い意味を持っています。
文化的意義と役割
東大寺法華堂は、日本の仏教建築としての貴重な遺産であり、国宝に指定されています。その建物や装飾、彫刻は、当時の工芸技術と美意識を示すものであり、日本の文化遺産として重要な役割を果たしています。また、法華堂は仏教行事や祭典の会場としても使用され、年間を通じて多くの信者や観光客が訪れる場所です。
東大寺との関係
法華堂は東大寺の一部であり、その境内は東大寺の重要な一環として位置付けられています。東大寺自体は奈良時代に聖武天皇によって建立され、大仏殿(国宝)を含む数々の建築物や文化財を有する仏教寺院です。法華堂はこの大きな寺院の一部として、その歴史と伝統を受け継ぐ重要な建築物です。
訪問と体験
東大寺法華堂は、日本の仏教文化と歴史に興味を持つ人々にとって、貴重な訪問先です。奈良市内から徒歩圏内に位置し、アクセスも良好です。訪れる際には、建物の外観や内部の仏像、装飾に注目しつつ、その歴史的背景や仏教の教えについても学ぶことができるでしょう。
結び
東大寺法華堂(三月堂)は、日本の仏教建築と文化遺産の中でも特に重要な存在です。その建立から現在まで、多くの歴史的な出来事や文化的な交流があり、今日でもその美しさと意義が多くの人々に感動と敬意をも...
Read more土足でこの御堂の中に入ることは出来ません。足裏に木床を直に(じかに)感じながら、静かに歩みを進めます…
1963(昭和38)年、中学三年生…修学旅行時に見学した記憶がありましたが…ただぐるっと、ひと巡りしたにすぎません…
しかし、 ガリ版刷りのクラス卒業文集のなかにある同級生の文章は確かで、あの時、そこで感じたことを素直に綴っているのでした…
〈三月堂、本堂のなかに入ると大変薄暗かった。不空羂索観音は三つの目、八本の腕をもっているのに、力強い表現は不思議な感じを与えなく、よく調和していた… マサト 〉
〈 三月堂のなかは、とても薄暗く、見えない位でした。仏さまは手がいくつも出て、ひしゃくを持っていました。ミエコ 〉
以来、54年振りで訪れたわけですが… 同行者はなく、ひとり参詣しました… ただ、不空羂索観音の… 「力強い 合掌」といわれる、その御姿 と対面したいが為に…
そのことを実に詳細に述べている 亀井 勝一郎…
氏は著した「大和古寺風物誌」のなか、「不空羂索観音」の項でおおいに文筆を揮って(ふるって)おられますが、それを何度か読み、感銘を受けての参拝でもあったのです。古美術の鑑賞をその歴史的背景にまでこころをいたして参詣する態度は見倣うべきものがありました。
少し引用してみましょう…
〈 私はこのみ佛を拜するたびに、いつもその合掌の強烈さに驚く。須彌壇(しゅみだん)上に立つ堂々一丈二尺の威軀は実に荘厳であり、力が充実してをり、また仄暗い天井のあたりに仰がれる尊貌は沈痛を極めてゐる。 慈悲の暖かさも悟達の静けさもみられない。口を堅くむすんで何かに耐へてゐる悲壮な表情である。その一心の願が… (中略) 強烈な合掌となるのであろう。… (中略) … 私には、このみ佛が身をもって天平の深淵を語ってゐるやうに思われる。 何に耐へ、何を念じてゐるのであらうか。〉
〈 不空羂索観音の堂々たる威軀の立つ蓮座の下に、天平の地獄がある。これを懸命に踏まえて、そびゆるごとく佇立したところに信仰の力があらはれてゐる。〉
その日、その時は来訪者少なく時間を忘れるほど、その合掌の御姿を見上げていることが出来ました…🙏
天平の地獄とは…当時の人々が被った(こうむった)...
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