2024年10月10日「念仏と法話の会(法題:法然上人のみ教え)」予約して参加。 場所のクチコミも欲しいけど、その場所ならではの行事のクチコミも欲しいよねって事で書きます。色々な名称は間違えてると思うのでご勘弁下さい。 お寺へのアクセスの仕方はホームページにあって、写真があって順序もわかりやすい。 が、グーグルマップで見ると、何かこっちの方が近いんじゃね、と祖師堂の方に出る。ガーン!いかにもウェルカム的な入れそうな入口が無い。ウロウロ、エーイ、順序見よう。あれ? 横断歩道を渡って左に曲がってる。祖師堂ではなく、反対側の本堂が受付だった。ふーやれやれ。 信徒でも檀家でもなく、このお寺が何の宗派かも知らず(さすがに失礼)。「アナタ、宗派が違うわね!」なんて言われる事も無く、普通に受付を済ませ、信徒さんだったら持参するアイテム(輪袈裟、数珠)を持ってないのでお借りした。輪袈裟は、周りの人の着けているのを盗み見て、それらしく見える様に着ける。数珠は、胸ポケットに、念仏中はずっと左手に持っていた。 集合場所には椅子があるので、トイレに行きつつ、座って待っていた。 始まり。軽く説明を受け、並んで本堂?へ移動。移動中、「なーむーあーみだーぶーつ」を唱え続ける。この唱和は、お坊さんと係の人が唱えているので、それをマネすればオーケー。 本堂にて、小さいテーブルに経本、椅子横に木魚がセットになっている所に座る。椅子ってのが良かった。正座で無いので足が痺れ無い。 念仏が始まる。途中、経本を読まずに、南無阿弥陀仏を唱える所が何カ所かある。また、経本でどこ読んでるかわからなくなっても、係の人が巡回しており、今ここ読んでます、と教えてくれる。とりあえず、アーとかオーとかショーとか、周りの人に合わせて、文字を言って伸ばして言えば、それらしくなる。私はガッツリ経本を手に持って読んでました。 経本の最後ぐらいに部屋の電気が消されて、ひたすら「南無阿弥陀仏」と木魚を叩き続ける箇所がある。木魚のタイミングが合わず、裏打ちみたいなリズムの人もいるが、一心不乱に念仏し、木魚を叩いた。そうやって念仏していると、亡き母の成仏、人間関係で上手くいってない私と人の良い流れ、東北地震で亡くなった方々への供養、ウクライナ戦争での被害者の方々へなどなど、阿弥陀仏様へ祈っている自分が居た。ちょっと泣きそうになる。 いや、ここで祈っても何もならないのはよくわかっている。しかし、どうにもならん事は、落とし所が必要ッスよ。 明かりが点き、シメ?の念仏、お坊さんが「東北地震のなんたら」と言っておられて、やっぱり願う対象は同じだよな~と思う。 念仏終わり。また念仏しながら、前回の集合場所に戻る。この集合場所で法話を聞きます。 法話前に副住職のお話しがあり、「信徒、檀家、一般(非信徒、非檀家ね)でも、神の前ではいっかいの念仏者である。神と一個人一人一人の対応である。」みたいな話が良かった。イスラム教も、神と個人の契約であるみたいな、そんな感じだったかな? そういえば、戦国時代になぜ日本にキリスト教が流行らなかったか?に対して、昔に仏教の各宗派が乱立し、キリスト教みたいなモノも通過済みだからと言っていた評論家がおられて、なるほどね!と思った記憶がある。 副住職の話終わりに読経が始まる。カンニングペーパー無いんだが?! とっ、とりあえず、必殺低くウナる、で何とか乗りきる。 次に講師の方が登場し、法然上人の歴史と、信徒さんとの交流でちょっと良い話などなど盛りだくさんのお話しを聞けた。眠りをガマンしながらも、楽しく聞けました。 うん、ラジオもテレビも無い時、お寺でのお坊さんのお話しって、一種のエンターテイメントだったんだな。 これまた余談で、昔々、人気の講談師(落語家?)が話を始める前に、道の反対側で自分の小屋より人が入ってる場所があった。弟子に何をやってるか偵察させるとお坊さんが法話をやっているとの事。「法話にゃかなわない」と言ったとか。昔から法話は人気だったんだなとわかるエピソード。 その後、お茶会も有ったんですが、コミュ障の私はそそくさと帰宅。 参加してみて、大変良かった!人間関係でモヤモヤしてたけど、スッキリ。これはいわ...
Read moreCenturies-old Buddhist temple rebuilt by Kengo Kuma. There are not much for the public to visit except when they hold events, nonetheless you can walk through the...
Read more江戸三十三観音霊場の参拝でお伺いしました。 浄土宗のお寺で長青山寳樹寺梅窓院といい、霊場第二十四番札所になります。 徳川家康公以来の家臣であった老中青山大蔵少輔幸成公が逝去の折りに、下屋敷内に一万三千二百四十七坪の地を画して側室を大檀越として建立されました。 寺号は青山公の法名「梅窓院殿天譽浄薫大禅定門」と側室の法名「長青院殿天譽利白大姉」から《長青山寳樹寺梅窓院》と名付けられました。 三国伝来と伝えられている梅窓院の泰平観音は、源頼義公親子が奥州討伐の際にこの観音尊像を念持仏として帯持し陣中守護となったと伝えられています。 そして奥州の地がその功徳によって泰平となったので「泰平観音」と名付けられ南部公に伝えられたものです。その後南部公(行信公)の姫君が青山公(第三代幸督公)に輿入れの際にお内仏として青山家に伝えられたそうです。 それが後に菩提寺である梅窓院に観音堂を建立し奉安されましたが新本堂建立に伴い平成七年(1995年)に再建された...
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