2023年朝ドラ「らんまん」により下段に追記しました。(追記の追記)
ここには以前、東京一と言っても過言ではない 有名な銭湯施設がありました。 その石碑となります。
云われは弘法さまが彫ったといわれる仏像を背負った旅の僧が、ここに湯が出ると指したと言われています。弘法様自身ではありません。 そこを掘ったら見事に湯が出て その効能が素晴らしく人気が出て 座敷が出来、明治期の軍人さんも寄るようになり 芸者を呼ぶようになり、色街となっていきました。 駅名の由来ともなっています。 地方から上京してきた人が東京駅や上野駅で神泉湯を問うただけで行き方を教わったとも伝わるほどの人気でした。 賑わっていた頃は祇園円山とかけて渋谷円山町とも呼ばれてもおりました。 渋谷が繁華街渋谷になったきっかけともいえる場所です。 二番手を狙った近隣の人が幾人か掘ったそうですが 他は全く湯水が出なかったそうです。
ラブホ街としての神泉は全く別の理由で後世になります。 そこも深い理由がありますが、それはまた別の機会に。
2023.09追記---------------------------------
渋谷は東京最大級の窪地の為、水害が多く、江戸期は行旅死亡人の亡骸捨て場だったり、盗賊が出ることで有名な荒んだ土地柄でした。 明治以降大きく変わっていきます。
ドラマに出ていた当時はまだ渋谷は廃れた寂れた貧しい農村がポツネンとある地域でした。同時に国木田独歩の「武蔵野」はすぐ隣の高台、現代の渋谷NHK辺りの景色が描かれています。
渋谷が渋谷に変われた起点が正に弘法湯の繁栄だったのです。
この界隈は三業地と呼ばれていました。芸者置き屋、料亭、待合の三業種が揃う色街の意味です。東京は待合自身が料亭も兼ねてる店が多いです。 朝ドラではどうしてもアンダーグラウンドな表現を避ける為、まるで料亭かのように描かれていますが 「待合」は、客と芸者の酒席を取り持つ店であり、所謂色茶屋の役割も兼ねることもあったようです。 綺麗事な商いではありません。
平成の初め頃までは見番(芸者総手配所・組合)も芸者さんも残っておりました。 ドラマに出ていた弘法湯のご主人の末裔の方からもお話を伺っておりますが、懐深く大きな人物だったようです。その役を演じた井上順さんは生粋の渋谷生まれ育ち、これ以上ないキャスティングです。
2023.09追記の追記----------------------------- 朝ドラ「らんまん」用の追記です。
戦後直ぐ闇市から抜け出した頃に 渋谷駅周辺の再開発をめぐり百貨店戦争が勃発します。 西◯vs東◯です。当時のチンピラ893が代理戦争を始めてしまい、壮絶なリアル“仁義なき戦い”の舞台となりました。無法地帯に近かったそうです。 それらをまとめ、手打ち解決させたのは弘法...
Read moreコンビニの脇にポツンと立つ石碑。特に説明も無く、わざわざ見に来る感じではないですが、石碑に刻まれた弘法様(たぶん)が、なんとも良いお顔で微笑みかけてくれます。
この石碑のある奥の建物のあたりに、明治の頃は弘法湯という湯治場があり賑わったそうです。 名前の由来は、この場所に湧き出る水を沸かして湯治に使おうと提案したのが、弘法様のお弟子さんだったので弘法様にあやかったそうです。昔の話なので、はっきりしたことはわかりませんが。
松濤公園の池も湧き水だそうで、このあたりは谷地なので、水が集まる場所のようですね。
湯治で人が集まり、やがて芸妓さんなど湯治客を楽しませる商売が盛んになり、いつしか花街になり… この場所から少し離れますが、高台のホテル街の手前には、今でも料亭だった建物が残り、花...
Read more明治19(1886)年8月建之の石碑。 井の頭線神泉駅あたりは神泉谷とよばれていた。嘗て「弘法湯」と呼ばれた共同浴場があり、江戸時代以降、富士山や大山を詣でる多くの人に利用されていた。 明治中頃、その経営を引き継いだ佐藤氏が弘法湯に料理旅館「神泉館」を併設し、それが花街円山町誕生の礎...
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