宇奈岐日女神社(うなぎひめ)です🐈 駐車場🅿有り トイレ🚻有り 車椅子♿難しいです 猫🐈在住(要重要)
ここは「六所宮」とも呼ばれてます 「六所宮」の別称はこの6柱を祀ることのいわれです
。 国常立尊(くにとこたちのみこと) 国狭槌尊(くにさつちのみこと) 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと) 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと) 神倭磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと、初代神武天皇) 神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと、第2代綏靖天皇)
昔は盆地で古くは湖でしたが、ウナグヒメが開拓したと伝えられています。 この神社の現在の祭神は、上記の6柱の神々ですが。『延喜式』神名帳には「宇奈岐日女神社」とあります、神階奉叙などの祭祀は「宇奈岐比咩神(宇奈支比咩神)」に対して行なわれているので、当初の祭神は「ウナグヒメ(ウナギヒメ、ウナキヒメ)」であったと考えられます🐈。
ウナグヒメという呼び名、ウナグ とは勾玉などの首飾りの意味、呪具を身につけた巫女が神に転じたと推測します。 ウナギ(鰻)に由来するとする説もあります。この地域を守護する方がいて この宇奈岐比咩はこの地域にしか見られない神さまです🐈名前を変えられたか変えられたかはわかりません。 宇奈岐比咩を『豊後国風土記』では「速津媛」と記されていることから この九州東部を守護する方は祓戸四神の 速秋津姫と推測します。大分県速見郡の由来です。市杵島姫も速佐良姫も土地にその名が残ってますね🐈
社伝には、景行天皇がやって来て。当地で祭をし、同天皇3年に速津姫がを呼んで創祀したという伝承を伝えています。 宇奈岐神社は由布岳の南西山麓に鎮座していて。木綿山(ゆうやま)にます神なので木綿ノ神社ともいい宇奈岐比咩は由布山神であると記されていて、元々は由布岳を神体山として成立した神社みたいです🐈 ここで木綿が取れていたのでしょうか?
一方で、由布院盆地はむかし湖であったという伝承があり、宇奈岐比咩が道臣命という 大男に命じて盆地を蹴破り湖を盆地にし稲作盆地にしたという(蹴裂伝説)があってこの水が流れて大分川になったというお話が残っています🐈その湖に居たウナギ(鰻)を精霊として祀ったことに始まって、のちに由布岳の神と習合したという推測です🐈
社名は宇奈岐比咩で祭祀は宇奈岐比咩へ行っているということですが宇奈岐比咩(速秋津姫)が見当たりませんね🐈 ウィキペディアも当初の祭神は「ウナグヒメ(ウナギヒメ、ウナキヒメ)」であったと考えられている。と書いてあります。 当時、他勢力からの直接的な征服があったかは分かりませんが、征服による祭神の入れ替えは十分に有りうることで、神社名にだけ宇奈岐比咩の名前を留められたとも、ほとぼりが冷めた後に社名だけが本来の姿に戻されたとも考えられそうです🐈
国常立尊 国狭槌尊 彦火火出見尊 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 神倭磐余彦尊 神渟名川耳尊
六柱の並び あまり突っ込むとご迷惑がかかったり このクチコミが通報で表示されなくなったりするので。(佐賀や宮崎の神社のクチコミが何社か消されました日本武尊のやつとか(笑)) 迷惑がかからない程度に
神倭磐余彦尊(初代神武天皇)と 神渟名川耳尊(第2代綏靖天皇) という通説(記紀)に基づくある意味で最高位の神が最下位に置かれていますね。
最上位に 国常立尊 国狭槌尊という造化神が配神され、 次いで、 彦火火出見尊 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 物部系の親子神が配されています。 豊前豊後は天照神ニギハヤヒの勢力下です
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊彦は、 通説でも火火出見尊(山幸彦)と、海神綿津見の娘の豊玉姫の子で、その後代に神武天皇が生まれるとされていますので。 この神社は本当の皇族を示す神社なのが 見えますね。家紋を見ると2つあり 十六菊花と五七桐(ごしちきり)の紋です。 この紋は最高位を示す家紋です。
もう一度。最高位を示す家紋です☺ 十六菊花紋はご存知天皇家です 五七桐も天皇家です🐈 こちらの天皇家を後世に残そうと尽力されたのが菅原道真公です。五七桐の天皇家は 高良大社の御祭神、開化天皇。 第二代〜第九代、欠史八代の最後の第九代天皇です。第十代崇神天皇から今の天皇家ということになるのですが。
第十代崇神天皇から天皇家は2つに別れ
九州を舞台に説明いたしますと
北部九州の天皇家 欠史八代 南部九州の天皇家 十代〜
ようはあとからやって来て制服したのが南九州天皇家、中国三国志の魏呉蜀の呉の民の末裔が熊本、鹿児島から入植して来たということになるのです🐈なぜ欠史八代を追放したかは百済、新羅の朝鮮半島の海外から入植した渡来人の王を王として据え置くわけには行かないということですが、呉も十分渡来人なんですよ🐈
それを示してきたのが菅原道真公であり 宇奈岐比咩神社拝殿左側に祀られています。
宇奈岐比咩が速秋津姫という僕の仮説ですが速見郡という地名を残しているということと同じ祓戸四神のお一人市杵島姫が拝殿右側に厳島神社を祀られていること。
この宇奈岐比咩神社は 真実を伝える貴重な神社と言えます。 拝殿前でお参りしていましたら 上がってこんねと声が聞こえた 気 が (笑)しましたので上がらせていただきました。大切にされてることがお分かりになる ので動画上がったら見てみてくださいね🐈
太鼓橋を渡るときに心もきれいに浄化してくれるような素敵な神社です。
ぜひ行かれてください🐈 ...
Read more景行天皇関連 日本書紀には記述はないが「(日本書紀に登場する)速津姫」が創祀だと伝わっているため遠回りながら関係しているとも考えられる。 また速津姫の進言で景行天皇が土蜘蛛(打猿・八田・国摩侶)を討伐しに竹田市の方向へ進軍した時に、現地の村人が景行天皇へ木綿(ゆう...
Read more由布市にある歴史ある神社です。延喜式の式内社(小社)であり、旧社格は県社。祭神は多く国之常立神、国狭槌尊、火折尊、鸕鶿草葺不合尊、神倭磐余彦命、神渟名川耳命。創建は景行天皇12年(82年)と伝わる古社ですが、正式に国史に名前が見られるのは849年となっています。 日本武尊の父である景行天皇が九州に西征に訪れた際、自らが神を祭った親祭の宮と社史は伝えますが、元々は由布岳を御神体としていたと推測されます。時代が下りウナグ姫(勾玉を身に付けた巫女とされる)を奉る神社となる。由布院盆地は大きな池であったとされ、それに纏わる蹴裂伝説もありますが現実的には巫女がこの地を支配し開拓していったと考える方が合理的でしょう。ウナギに纏わると言う説もありますが、これは俗説でしょう。神階は正五位下となっています。いずれにせよこの地方では有数の古社であり、高い格式と力を持ったお社に違いありません。お社は由布院の町中に在り観光コースの一つになっています。境内は1万坪を超えるとされていますが、広大なと言う感じはなく、寧ろ小ぢんまりしている雰囲気であり綺麗に整備されています。台風で倒されてしまった御神木の幹が三つ、展示されています。いずれも立派な大きさです。お社は朱塗りの流造となっています。数台が止められる駐車場があります。御朱印は直書きで¥300-の初...
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