50.北条高時切腹やぐら アクセス: JR鎌倉駅下車、徒歩15分(祇園山ハイキングコース、小町側出入口付近) ~北条高時の執権就任から、自刃による鎌倉幕府の滅亡まで~ ・文保 2年(1318)2月 :後醍醐天皇が即位。(大覚寺統) ・正和元年(1316):北条高時(14才)、14代執権となる ・正中元年(1324)9月:「正中の変」。後醍醐天皇による討幕計画が事前に発覚 ・元弘元年(1331)5月:「元弘の変」。後醍醐天皇は討幕を図ったが露見し、捕らえられ隠岐島に配流 ・元弘3年(1333)2月:後醍醐天皇は隠岐島を脱出 ・後醍醐天皇の軍を討つため、足利尊氏・名越流北条高家両将が、大軍を率いて上洛した。軍勢が京都に到着する前に、京都の六波羅探題から急報が相次いだ。さらに大軍を増派せよという内容であった。意を決した幕府首脳部は、10万の兵を増派することとした。「五日間のうちに、六万貫の軍資金」宛が課されたのが上野国新田荘であった。しかし本領主系の新田義貞にとっては、不満であった。思わず幕府派遣の徴税史を叩き斬ってしまったのである。翌日、幕府は、わずかに新田義貞の手に残されていた新田荘内の平塚郷を没収し、新田氏討伐が下知された ・元弘3年(1333)5月8日:新田義貞は新田荘内の生品神社で挙兵 ・同年5月9日:新田勢は、利根川を渡って武蔵国に侵攻し、軍勢は20万余りにも膨れ上がった ・同年5月11日:入間川合戦で、北条軍は敗北 ・同年5月12日:久米川合戦で、北条軍は敗北 ・同年5月15日:第一次分倍合戦では、北条軍は大勝し、新田勢は、掘兼に退却 ・同年5月16日:第二次分倍合戦では、新田勢が、北条軍に奇襲をかけ、北条軍は敗北し、府中まで退却。このとき、悲報が入ってきた。「さきに上洛せし足利尊氏殿、御味方を裏切って宮側となり、六波羅府を攻撃、我が六波羅軍四三二人、近江番場の蓮華寺にて、全員御自害との由」。この報を聞いた北条軍は、潰走した。新田勢は、そのまま府中を通り過ぎ、鎌倉街道上ノ道を南下し、鎌倉に迫った ・同年5月18日:新田勢は、大軍を三隊に分け、鎌倉の西側の三口、小袋坂、化粧坂、極楽寺坂にむかって、鎌倉を攻撃した。鎌倉方も、この三口を固めていた。小袋坂道を固めたのは、現執権赤橋流北条守時であった。守時の妹登子の婿、足利高氏が敵に寝返ったので、死を覚悟していた守時の赤橋軍は、ついに新田勢背後の洲崎(鎌倉市寺分一丁目)にまでせまった。しかし、赤橋軍では、軍兵の多くが戦死し、やがて守時は自刃し、南条高直以下九十余人も、続いて切腹して果た。(洲崎の戦い)。 極楽寺坂でも、新田勢は苦戦していた。一計を案じた新田大舘宗氏は、極楽寺坂道の攻撃路を新田綿打氏義に委ねて、自らは稲村ガ崎に向かった。しかし、幕府軍も、稲村ガ崎からの攻撃は予期していて、それに備えていた。 ・同年5月18日の夜:手兵300騎を引き分けた大舘宗氏は、秘かに稲村ガ先に迫った。干潮によってやや広くなった波打際を、猛進した。しかし、待ち受けていた北条勢によって、大館宗氏の主従11名は稲瀬川のほとりで北条軍の攻撃を受けて全員討ち死にした。生き残った者は内側から霊山に逃げ登った。 ちなみに、やがて十一面観音堂が御霊神社の参道に面したところに建てられた。 江戸時代、宗氏の子孫と称する人物が現われ、十一面観音堂の跡地を霊山の外に移した。それが現在の「十一人塚」である。 新田勢の総攻撃は、三道のいずれからも鎌倉に突入できず、失敗わった ・同年5月20日:日中、第二回の新田勢の鎌倉総攻撃が前回と同じ三道で行われた ・同年5月21日:化粧坂攻撃を指揮していた新田義貞は、50騎を引き分け、自軍の背後に退き、指揮官を失った極楽寺坂攻撃軍のもとに、本陣を移した ・同年5月21日の深更:義貞は稲村ケ崎の厳頭に立ち、海神に祈り、黄金造りの太刀を海中に投じた。 ・同年5月22日の早暁:奇跡が起こった。急に干上り、海水が沖合はるかに退いて幕府の軍船が二十余町も流されいった。新田勢は、稲村ガ崎の遠干潟を一気に駈け抜けて、鎌倉に突入していった。鎌倉防衛線の一角はついに破れた。...
Read moreAfter the 2 caves, I found the cave where Hojo Takatoki (1304-1333), the 14th Regent of the Kamakura Shogunate, was said to have killed himself. It was still up the hill covered with a growth of weeds. Even in the depths of winter, the scene reminded me of a haiku poem Matsuo Basho (1644-1694) composed: Summer weeds Which cover The site of...
Read more数年前の話ですが、中学2年生の頃に校外学習で行きました。 事前学習で心霊スポットだと知り、その時オカルトが好きだった事もあり、「心霊スポット!?行こうぜ!」と自分の提案で班で行く事になりました。 腹切りやぐらに行くまでの道がかなり険しく、運動不足だという事もあり、僕は班の一番後ろになっていました。 やっとの事で着いた瞬間、後ろから「○○ちゃん(本名)」と名前を呼ばれ、思わずびっくりして班の一番前まで走って行きました。 僕は班の一番後ろだったので、僕の後ろに人がいる訳はないのです。 「誰か俺の名前呼んだ?」と聞いても、だれも呼んでないと答え、混乱しつつも手を合わせてその場を去りました。
そして帰ってきた当日の夜、原因不明の腹痛で嘔吐。めちゃくちゃ辛かった。 翌日病院へ行って精密検査した所、なんと「虫垂炎」と診断され、即入院。 その時は薬で炎症を抑えるだけでしたが、数ヶ月後、再入院して手術しました。
当時は「盲腸の原因…?……釜揚げうどんの食いすぎか?」くらいに思ってましたが、 腹切りやぐらに行った翌日に盲腸と診断されて最終的に手術して(腹を切っている)ため、 「いや見事に祟られてるやんけ!!」と思っています。
もしこれが祟りや呪いだとしたら、人生初の霊体験です。 今では笑い話みたいな怪談になっています。
やっ...
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