四谷の大木戸は、江戸開府後間もなく、元和2年(1616)に設けられました。大阪夏の陣の直後で、軍事的にも緊張していたのでしょう。しかしその後、夜間木戸を閉めるほどの必要もなくなり、寛永4年(1792)に、木戸は廃止され、そのまま地名として残ったとはいえ、2百年以上も実態のなくなった「四谷大木戸」の名前が今も残っているのは面白い。 最初に掲げたのは「江戸名所図会」に描かれた四谷大木戸です。これは大木戸が廃止されたあとの様子を描いており、それを見ると、石垣は残っております。それとともにこの絵で目立つのは、市街地側の街道には石畳が敷かれていたことです。現在でいう舗装道路です。地方から土埃やぬかるみにまみれた道をはるばる歩いてくると、この大木戸の石垣と、道に敷かれた石畳とで、ああ江戸に着いたのだ、という気持ちになったことでしょうか。それが、甲州街道沿いには、現在の四谷4丁目であったのです。内藤新宿は、江戸市中の外の内藤新宿であったわけです。この石垣は明治になって、交通の障害になるとして、撤去された。、明治9年(1876)のことだという。四谷大木戸は、また玉川上水の江戸の町への終着点あった。相州多摩川の羽村から取水された水は、45km離れた開渠のままここまできて、そこから先は、地下に埋設された木製又は石造りの樋により、各地に配水された。ここに水番所がおかれ毎日時刻を決めて水位を計測し、羽村の取水口と連絡と取り合って水量の調節を行っていた。先に掲げた江戸の地図には、大木戸とともに、玉川上水と水番所が描かれている。現在の地図と見比べてみると、新宿御苑に沿った道が、玉川上水跡であることが分かります。 玉川上水は近代水道の整備とともに、使われなくなったが、水番所のあったところに、都の水道局新宿営業所を含む四谷区民センターの立派な建物が建っている。昔の水番所が現在の水道局に継承されているのは面白い。この区民センターの東端に「大木戸跡」と書いた小さな石碑と、少し離れた通りに面して「水道碑」という大きな石碑があります。「大木戸跡」の石碑は、昭和34年、地下鉄丸の内線が建設された折に、新宿通りの工事現場から出土した水道の石樋を使って作られ、交差点の南東隅に建立されたが、さらに邪魔になって、現在の場所移されたという。もともとあった場所からかなり離れた場所にあることに成ります。四谷4丁目の交差点の真ん中に立ち、新宿方面を見る。右が新宿通り、左は新宿南口から御甲州街道へ至る新宿御苑トンネル、その間に挟まれた大きな建物が、水番所跡に建てられた区民センターです。 四谷4丁目の交差点は現在では複雑な交差点になっていて、新宿通りは、ここで新宿のもとからある伊勢丹や三越の前の通りを経て、新宿東口へ至る本来の新宿通りと、新宿御苑の北端をトンネルで通り抜け新宿南口を通って甲州街道へ至る道とが分岐する。新宿方向に向いて撮った写真でその様子がお分かりいただけようか。この道路改造によって、それまでにあった玉川上水のあとの水路は完全に消失しました。行き違い等々の切はご容赦下さい...
Read more新宿区立四谷区民センターの敷地内に記念の石碑があります。江戸時代はこの付近に甲州街道の関所があり、石垣と木戸があって夜は閉められました。御苑の大木戸門の名前はここに因みます。 説明文によれば、四谷大木戸跡の石碑は地下鉄丸ノ内線の工事で出土した玉川上水の石樋を用いて作られたそうです。 玉川上水は多摩川から取水して江戸に飲料水を供給するための人工水路で、1653年完成です。四谷大木戸に玉川上水の保全管理をする水番所があり、上水はこの辺りまでは露天の流れで、以降江戸市中は石樋と木管による地下水道でした。明治になってもしばらくは現役の上水道だったそうです。都市の発展に伴い水質が悪化し、コレラの大流行も起きて近代水道に置き換えられましたが、玉川上水の一部は今も水道原水の導水路として使用されています。 通り沿いにある高さ5m近くの大きな石碑は玉川上水の由来を記念するもので、明治28年完成です。 近くの御苑北側に玉川上水を記念する散歩道があり、曾ての上水の流れに沿って水が流れています。玉川上水の解説も有ります。散歩道は御苑内ですが、御苑とは別区画で無料です。但し門があって利用は日中のみです。 御苑に来てもこの散歩道に立ち寄る人は多くないですが、昔の御苑の門があり、インスタ映えする...
Read more新宿区四谷。甲州街道の関所の跡です。大木戸とは関所の関門の事で、甲州街道に四谷大木戸があるように、東海道にも高輪大木戸がありました。大木戸には行き来する人たちの管理を行い、江戸の街の安全を守る役割がありました。 この辺りは大木戸跡の他にも、玉川上水の水番所があったと言われています。玉川上水は多摩川の羽村堰から取水され、四谷大木戸あたりまでは開渠で、そこから江戸市中にかけては地下に埋められた石樋と木樋を伝って流れました。水番所の役人は水門を調整して水量を管理したり、汚染から水質を守る役割をしていました。いつの時代でも水は人々の暮らしの源です。水を守る仕事の重要性は今...
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