稲荷鬼王神社の裏参道から参拝できる富士塚です。 参道左右に分かたれた他に例のない形態をとっていますが、これこそがこの富士塚の辿った数奇な運命を象徴しています。
元来この富士塚は当社の物ではなく、身禄(みろく)と呼ばれる富士講の人々の物であり、富士塚としては珍しくすべて富士山の溶岩を積み上げて作られた物だそうです。 しかしながら、明治の神仏分離令が一度この富士塚を襲います。 富士塚は神仏習合や山岳信仰などに類しておりました。例えば、この富士塚にも『南無妙法蓮華経』のお題目が刻まれた石碑が建てられている事から、その事が伺えると思います。 また、富士塚は、江戸の当時山岳は女人禁制でしたが、男性が女装し、女性が男装して登り、男女の出会いの場となっておりました。 これらの事から、当時の神道国教化政策と相容れず、また風紀を乱すものとして忖度した神主のご先祖様が、一旦取り壊しをしたそうです。
しかしながら、時代が下り、現神主のお祖父様は富士塚の復興を考えます。積み上げた溶岩はすべてバラバラになっていたため、石積みの技術を持つ職人に頼むしかありません。 その時、この地域でその技術を持っていたのは、植木職人たちでした。植木職人たちは富士塚の復興を引き受ける代わりに、この富士塚を商業取引の広告塔として使う事を提案します。
すなわち、富士塚の厳格な信仰に基づけば江古田浅間神社のように、正月三が日や夏や秋の限られた日だけ登山できる富士塚を常時登頂できるようにし、また積み上げた富士の溶岩を自分たちが庭石として顧客に提供できるサンプルとして提示したいということでした。 こうして、厳格な富士塚のスタイルから外れた西大久保の厄よけ富士は『藤塚』と彫られた石碑が埋め込まれ、昭和5年頃、おそらく現在の駐車場にあたる区役所通りに面したところに復興されます。
しかしながら、昭和20年。太平洋戦争の空襲は稲荷鬼王神社も例外なく襲いました。 境内の古木は比較的よく残り、現在も生えている大木たちはことごとく戦火を生き延び、火災に見舞われたスダジイの木も今なお旺盛な樹勢を誇りますが、富士塚はこの戦災により痛み、登山が危険な状態になりました。
戦後富士塚は徐々に縮小し、安全な状態で登山できるように配慮が続けられましたが、昭和40年の当社復興の際に、安全の観点から、富士塚は裏参道にこのように2分された状態で移され、裏参道から参拝する際には富士の胎内を通るような形態を採用したとの事でした。
しかしながら、神主様も分割された富士塚を今でも大切にされており、頂上にある浅間神社のご神体は本殿に残したものの、石の祠の前には毎日お供え物をしているとの事でした。 神道だと、神様へのお供え物はお米と塩だそうですが、前者は野鳥がひっくり返す恐れがあり、後者は塩分のため、溶岩を痛める恐れがあるので、ピーマンと紙パックのお酒の『鬼殺し』をお供えしているとの事でした。
時代の荒波に翻弄され、数奇な運命を辿りながらもこうして心ある神主様によって保たれる富士塚を伝えようと思い、Googleマップに新規で登録いたしました。 一人でも多くの方にこの神社を参拝いただき、神主様の人柄や、過去の人々の信仰、そして焼夷弾に焼かれながらも生き延びたスダジイと逢い、何らかの感動を感じ...
Read moreThis small but soulful shrine is dedicated to Inari, the Shinto deity of prosperity, fertility, and rice. The kitsune statues, worn by time, stand with silent elegance, holding keys and scrolls that hint at unseen mysteries.
Though it's far from the grandeur of Kyoto's famous counterpart, Inarikio offers something deeper: intimacy. You don’t come here to be impressed. You come to feel. To...
Read more立地はとてもいいところで、区役所通りが新宿税務署通りへ抜ける、その名も鬼王神社前交差点手前に境内があります。ビルとビルの谷間にこんもりとしたやぶの中で、社殿は東を背に西を向いて建っていて、本殿を挟んで南北両方に駐車場を備えています。ここは名前からして、"鬼"を祀っていると勘違いされてる方が少なくないみたいですが、鬼は祀ってません。おこんこんさまです(だから神道だと宇迦之御魂神)。江戸時代の終わりごろ、この辺りは大久保村と言っていて、村の氏神様が鬼王権現様だったのがそもそもの由来です。で、この鬼王権現さまは、熊野(南紀の)から勧請されていて、勧請以前から祀られていた鎮守の火産霊神などとくっつきまして、月夜見命(つきよみのみこと)から天手力男(たぢからお)命の諸神(これらが鬼王権現さまにあたる)も祀って、社名に見えてきます(肝心な熊野には鬼王様は現存していない)。しかしながらここで再び平将門公も出てきまして、平将門公の幼名が"外都鬼王(Gezu-Wonioh);鬼王丸"と呼ばれていたと将門記にあることから、それではないかともいわれています。"鬼"なんて社名に冠してあるもんだから、いつしか鬼が祀ってあると思われるようになってしまったんですね。("鬼"をお参りされたい方は、埼玉の嵐山に行くと鬼鎮神社とか秋田の男鹿の真山神社、青森県内のとくに津軽半島側の神社いくつかがあります。)けれども、社殿前両脇は狛犬然とした狛犬なんですが、この神社の正面参道入ってすぐ両脇に鎮座しているのは、狛犬とは言えないような容姿のご眷属でして、あばら骨の彫り込み表現があることから、じゃあ、おゐぬさまのようなオオカミなのかとゆうと、形相風貌は狛犬の貫禄あるタイプでもなく、鬼よりこちらのほうが一言説明が欲しくなってきます。宮司さま(ここの宮司さんは、ときどきひょっこり出て来て話しかけてくれる楽しい方です)のおっしゃるところでは「ヤマイヌ」であろうとのことです。由緒に熊野の系譜がありますからね、山犬はけっきょく狼信仰で、関東に広がる御嶽や三峯の狼信仰とはまた異なった流れを汲んでいる果てだと思います。おこんこんさまの門番にヤマイヌを置いているのも、町中の神社としては珍しいものです(そのわりにはおゐぬさま関連のお札等はありません)。珍しいと言えば、この神社の境内へ入り、参道を本殿向かって左手にある恵比寿神社(摂社)の脇参道の鳥居上には帆掛船の奉納が載っています。この小祠の脇には水琴窟があり、耳を近づけると琴音が聞こえるのですが、これがさらに、本殿向かって右脇の汀でもかすかに聞くことができて、隠れた名所満載の楽しい神社になっています。授与所は本殿向かって左手の建物に窓口があって、お守りもお札もいろいろ売っています。ほかにも境内には三島神社や本殿裏には浅間さま(お山付き)もあります。木が生い茂っていて、昼でも暗く、そうゆう雰囲気が好きな...
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