I highly recommend visiting this place if you're interested in art displays and locally made arts and crafts. It's a pleasant walk through, offering a unique experience during both day and night visits, each with its own distinct vibe. If you're seeking a peaceful spot to simply stroll and enjoy yourself in Akihabara, this place is definitely worth...
Read more明治四十五年(1912年)に開業した駅。以降三十一年間運用されていた。 駅舎屋の建築設計は,東京駅を作った辰野金吾が担当したという。当地に旧万世橋駅のジオラマが存在するが,確かに東京駅味を感じる。 途中,万世橋駅に鉄道博物館が併設され,およそ七年間並業状態にあった。しかし,昭和十八年(1943年)に万世橋駅は休止状態となり,鉄道博物館に吸収される形で,その役目を終えた。
平成十八年(2006年)に鉄道博物館がさいたま市に移設された後,暫くの改装期間を経てより平成二十五年(2013年),マーチエキュート神田万世橋に生まれ変わって,現在に至る。
以下,観察情報。
1912階段】 駅開業当初からの階段。つまり,100歳以上。 公式サイトよると,「階段は、厚い花崗岩や稲田石を削りだした重厚なもの」であるとしている。感度が低く,実際に目の当たりにしても,「そうなんだ」という感想以上のものが出てこなかった。 パステルアイボリーの壁面タイルは,小口積み風であった。 目地には「覆輪目地(フクリンメジ)」と呼ばれる特殊な加工が施されている。調べるに覆輪目地とは,目地をかまぼこ型に膨らませる日本独自の加工技術とのこと。古いレンガ建築物等に良く見られたものであったが,現代に技術継承されておらず,東京駅を復元する際の障害のひとつになったという。
なお,当階段は,昭和十一年(1936年)に鉄道博物館が併設されてからは,駅改札から出ることなく博物館に直接入館できる特別来館口の階段,として流用されたらしい。
1934階段】 上記経緯による鉄道博物館旧万世橋駅直通階段の代用として作られたものだという。昭和十年(1935年)竣工。旧万世橋駅休止までのおよそ8年間,乗降客が上り下りしていた。こちらの壁面タイルの目地は,覆輪目地となっていない。
正直狭くて暗い。が,よくよく考えると自宅最寄駅もこんな感じだったな,と。慣れるとそういう印象もなくなるのだろう。
2013プラットホーム】 中央線を望める展望デッキ。旧万世橋駅プラットホームが存在していた位置にある。ここから見える景色は,当時の乗降客が見ていた景色と大きく違うのだろう。 歴史史料としては,「旧万世橋駅プラットホームの上屋基礎」がデッキ内にある。解説によると,「古レールを転用して作られたプラットホーム上屋基礎」であるという。マーチエキュート神田万世橋への改装工事中,旧万世橋駅ホーム...
Read more中央線を間近で見ることができます。 近くを走る総武線、山手線、新幹線も確認できます。階下には精巧な万世橋駅の模型があります。クリスマスの頃にはクリスマスバージョンの装飾もあり、アートな雰囲気を盛り上げています。
近くの広場にある案内図より。 中央本線のターミナル・万世橋駅は、当時東京でも屈指の繁華街だった須田町交差点前に、1912年(明治45)4月1日に開業した。当時の最新の技術で作られた煉瓦アーチの高架線を背にして建てられた興合は、後に東京駅丸の内駅舎の設計も手掛けた明治建築界を代表する建築家、辰野金吾と葛西万治の設計で、壮麗なレンガ・石類(一部鉄骨造り)の2階建てで、駅舎内には食堂も併設されていた。駅前広場には日露戦争の英雄、鹿瀬武夫と杉野孫七の巨大な銅像が建ち、須田町交差点には東京市電の各系統が集まり、中央線電車と市の乗り換えターミナルとして、ますます賑わいを増していった。 しかし、1914(大正3)年に東京駅が開業し、1919(大正8)年、中央本線が東京駅まで開通すると、万世駅はターミナルとしての役割を終えて中間駅となり、乗降客も減っていった。そして1923(大正12)年の関菜大震災で歌合が読失してしまい、1925年(大正14)年には2代目駅舎が完成したものの、砂代駅舎の出麗さ...
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