阿部和樹「手描きの計算」展
訪問の経緯
2025年3月8日(土)の夕方18:15頃、京橋のアートスペースキムラASKで開催中の阿部和樹「手描きの計算」展を訪れた。エレベーターで2階に降り立つと、目の前にガラス製の扉がある。しかし、中は真っ暗で、まるで無人のような雰囲気が漂っている。「もしかして、もう閉館してしまったのかな?」と9歳の娘と話していると、中からアーティストの阿部和樹さんご本人が現れ、私たちを迎え入れてくださった。
作品の体験 – 音と光の対話
展示室に足を踏み入れると、暗闇の中にポツンと置かれた一台のピアノが目に入る。空間は極めてミニマルで、余計な装飾は一切なく、このピアノこそが作品の核であることを即座に理解した。阿部氏の説明によると、「ピアノを弾くと、その音に呼応してスクリーンにイメージが投影される」とのこと。
娘が興味津々でピアノの鍵盤を叩き、学校で習った「ねこふんじゃった」や「第九」、さらにはヨルシカの「晴る」を弾いてみると、その音に合わせてスクリーン上に鮮やかな色彩が流動的な光の軌跡となって広がっていく。映し出されるビジュアルは、まるで音の波が視覚化されたかのように動的に変化し、手描き風のラインが有機的なフォルムを形作る。計算された美しさを湛えながらも、人間的な温かみが感じられるこの映像は、ただ観るだけではなく、弾くことで参加できるインタラクティブな体験として成立している。
作品の技術 – 計算と手描きの融合
本作は、ジェネラティブアートとプロジェクションマッピングを駆使したアートインスタレーションである。リアルタイムでピアノの音を解析し、そのデータをもとにビジュアルが生成される仕組みになっているという。
特筆すべきは、この映像が単なるプログラムの自動生成ではなく、手描きの質感が組み込まれている点だ。線のゆらぎや、筆致の柔らかさがコンピュータ上で再現されており、これによってデジタルとアナログの境界が曖昧になっている。まるで、機械が学習した「手描きらしさ」と、人間の演奏が相互に影響を与え合うことで、新しい表現が生まれているように感じられた。
評論的視点 – 計算と直感の狭間にある美
この作品は、計算と直感、秩序と偶然の境界を探るものだと言える。音というランダムな要素が、プログラムによって構築された規則の中で予測不能なビジュアルを生み出す。計算によって導き出される美しさと、演奏者の即興的な行為が交わることで、アートの新たな可能性を示唆している。
デジタル技術を用いたアート作品は多々あるが、本作のユニークな点は、単なる視覚的な驚きに留まらず、アーティストがどこまで関与するか、また偶然の要素がどのように創造性と結びつくのかを問う姿勢にある。手描きの特徴をプログラムに取り入れることで、人間の痕跡をデジタル世界に残し、なおかつリアルタイムの体験として成立させている点が興味深い。
光と音が紡ぐ夢の軌跡
静寂なキャンバスに音が触れるたび、 インクの線が生き物のように躍り出す。 淡い色彩の雫たちが音の波に呼応して滲み、弾み、 やがてひとつの模様を描き出しては消えていく。 計算という名の見えない指揮者と、 手描きという名の記憶が出会い、生まれる即興の舞踊。 デジタルの精密さと人肌のぬくもりが溶け合ったその映像は、 まるで機械が見る夢を人間が隣でなぞっているかのようだ。
作品の類似性 – Olafur Eliassonとの共鳴
この作品を体験しながら、私は自然とOlafur Eliasson(オラファー・エリアソン)の「Sunlight graffiti」を思い出した。光の軌跡を捉え、それを視覚化する手法は、どちらも人間の動作に依存する点で共通している。Eliassonの作品は、光の痕跡を写真として記録するものだが、「手描きの計算」はそれをリアルタイムで映像化し、なおかつ音と結びつけている点で新しい試みと言える。
まとめ –...
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