港区高輪。日本通運の博物館です。その名の通り、日本の物流について学ぶことができる博物館で、こじんまりとしていますが、展示は分かりやすくてコンパクトに収まっています。展示では江戸時代の飛脚や宿場町をはじめとした当時の物流から、明治時代以降の馬車や鉄道、そして自動車へと物流の主力が移り変わっていく過程が紹介されています。 私は、日本の物流の歴史を知るとともに、その中で大きな役割を果たした日本通運の歴史についても知ることができました。 日本通運の誕生の経緯をざっと説明すると、江戸時代に江戸・京都・大坂の定飛脚問屋が1872年に「陸運元会社」を設立し、1875年に「内国通運会社」と改称。1928年に「国際通運会社」と改称した頃には、中小の業者が乱立して市場が混乱しており、それを是正することと戦争に備えた産業の効率化も兼ねて、半官半民で1937年に「日本通運」が設立されました。日本通運が半国営企業だったことは知らない方も多いのではないでしょうか。 あと豆知識と言ってはあれですが、明治時代になって鉄道が開通し、戦後には自動車が普及して、輸送手段が大きく変化したのは事実ですが、牛や馬を使った輸送も1950年代頃までは特に地方ではまだ行われていました。日本通運も昭和30年代までは牛馬を所有していたそうです。 私たちが普段耳にする「宅配便」という言葉は、戦前にはなく、その代わり「宅扱(たくあつかい)」というサービスがあったことを知りました。これは当時の鉄道省の責任のもと、貨物を戸口から戸口へと運ぶサービスで、今の宅配便のルーツと言えるものです。宅配便というサービスは、東北地方の三八五貨物(現・三八五流通)が1973年に初めて開始し、1976年にヤマト運輸の宅急便、1977年に日本通運のペリカン便が始まりました(ただし、日本通運は現在、宅配からは撤退しています)。宅配便の競争の激化は会社が動物のロゴを使うことが多かったため「動物戦争」と呼ばれたそうです。 宅配便のサービスは時代に応じて変化していき、ネット通販の全盛期の現在、私達にとって益々なくてはならないものになっていますが、その一方で、人手不足や現場の負担が問題となっており、そのあり方に変化が問われています。この博物館を訪れて、物流に関わる人達が私達の生活を支えて下さっている事に感謝するとともに、現場の人たちのことを考えた適正な利用を心が...
Read moreあまり期待していなかったんですが、子供から大人(興味があるに限る)まで、楽しめ又は学べる場所でした。 施設は広くはないが、貴重な映像データがあり見始めたら丸一日はかかります。 一部はユーチューブでみれます。 あと、それなりに見学者が来られていました。
ちなみに、同業者のヤマト運輸のミュージアム。クロネコヤマトミュージアムがあるが、最近出来たばかりで、ビジュアル的に良かったが、子供たちは物流博物館の方が楽しめるかな。
〜クロネコヤマトミュージアムの口コミ〜 建物の5〜2Fフルに周回する感じで、創業者、大和運輸設立、戦前戦後の経営悪化、新たな事業創出、宅急便の誕生、未来へのチャレンジと見どころが多く、満足しました。 施設は2019年に出来ており、真新しさとビジュアル的にも良かった。また、カフェも併設されており、景色も良い! また、子供も楽しめるようになってます。
無料で予約無しで土日見学出来るのも良い! また、ヤマト運輸では羽田空港近くに、巨大な物流ターミナルである、クロノゲートの見学も可です(予約要)
あれ?創業者は小倉なのに何故に大和運輸なのか探しきれなかった(笑) (あとで、頂いた資料で確認した結果、創業時の会社を山登屋の2階に置いていたのと、かつての日本を指す大和の国を気に入っていたことから、ヤマト運輸と名付けているみたいです) ちなみに、運送業はたくさんある中、このようなミュージアム見学をさせて頂き感謝します。 ちなみに、ヤマトはSGHと比較されるが、従業員数からヤマトが固定費がかかり過ぎなとこや、特殊車両を保持していたことから、経営的には厳しいかもしれませんが、応援します! 20240715クロネ...
Read moreModestly sized and only Japanese, this museum is still pretty charming if you’re willing to do some work with google translate. Be aware that there’s nearly no signal in the basement area so google translate won’t...
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