浅草観音戒殺碑 Asakusa Kannon Kaisatsu no Hi (designated a Tangible cultural property-ancient documents in 1922) Komagatado Hall is a part of Sensoji Temple. It is considered to be a sacred place where the statue of Sho-Kanzeon Bosatsu, which is the principal object of worship of Sensoji Temple, was found in the Sumida River. Because of this discovery, a law was issued in 1692 forbiding the killing of fish and birds in the area. In commemoration of the law, Kaisatsu no Hi was erected in 1693 with Senzon, the 4th Gonno Sojo of Sensoji Temple, as the petitioner. The area where the killing of animals was forbidden was around Komagatado Hall. The designated area was about ten blocks (~1km) along the river from Suwa town as the south limit to Syoden-gishi as the north limit. According to the book "Gofunai Biko [Notes on Edo]", Kosatsu (public notice) were erected in Suwa & Syoden towns. The building of Komagatado Hall where Kaisatsu no Hi was erected has been burned down several times in the Edo Era. The notice has collapsed as well In 1759, the monument was erected again with the building. The current monument was excavated in 1927 after the Great Kanto Earthquake & Conflagration (1923)and was repaired in 1933 when Komagatado Hall was rebuilt. It is unclear whether the repaired monument is the original notice or the replacement proclamation of 1759. The monument is fashioned from...
Read more浅草寺に祀られている聖観世音菩薩が、約1400年前に隅田川から現れて初めて納められていた場所。その昔は、船で浅草寺に参詣する人がまずこの聖地に手を合わせたという。
遠方から浅草寺に来られた方は、昔の風習にならって立ち寄ってみてはどうでしょうか?何かご利益があるかもしれませんよ。真っ直ぐ歩けば、雷門を正面から見ながら歩けます。徐々に近づいてくる雷門を見ながら歩くのもなかなかです。
その景色を見た昔の人は一入の思いが込み上げたかもしれませんね。今はスカイツリーもありますから、ロマンチックな夜の雰囲気を味わってもいいのかもしれませんよ。
〈以下、掲示されている由緒〉
ご本尊ご示現の聖地「駒形堂」 駒形堂は、浅草寺ご本尊の聖観世音菩薩さまが、およそ1400年前、隅田川よりご示現なされ、はじめて奉安された地に建つ御堂。
昔、この辺りは船着き場で、渡しや船宿もあり大変な賑わいをみせ、船で浅草寺参詣に訪れた人々は、まずこの地に上陸して駒形堂をお参りして、観音堂へと向かった。
この御堂のご本尊さまは馬頭観音さまで、今も昔も、この地を行き交う人々をお守り下さっている。
現在の御堂は平成15年に再建されたもの。 今もこの地はご本尊ご示現の聖地として、人々の篤い信仰に支えられ、毎月の19日の馬頭観音さまのご縁日には、多くの参詣者で賑わう。 馬頭観音さまのご真言…「おん あみりとどはばうんは...
Read more【浅草観音戒殺碑】 物形堂は浅草寺の伽藍の一つで、浅草寺本尊の聖観世音菩薩が隅田川から発見された霊地である。このため元禄五年(一六九二)、当地を魚鳥殺生禁断の地とする法度が出された。 これを記念して、翌年(元禄六年)浅草寺第四世権僧正宣存が願主となり、戒設が建てられた。殺生禁断の範囲は駒形堂を中心に、南は諏訪町より北は聖天岸に至る十町余の川筋だった。 『御府内備考』によると、諏訪町・聖天町にも高札が健てられたという。 城殻が建てられた駒形堂の堂宇は、江戸時代に何度が焼失している。戒役も倒壊し、宝暦九年(一七五九)に堂字とともに再建された。 現在の噂は関東大震災後の昭和二年(一九二七) に土中より発見され、同八年の駒形堂再建と同時に修補されたものである。 元禄当初のか、宝暦再建のものか定かでない。 身は石造(安山岩)で、長方形円頭板状。 正面及び両側面を研磨し、背面は野面のままである。台石は昭和八年修補時のもので、上面・正面・両側面・背面の五面を研磨してある。 総高一八三・五cm、正面幅六一C皿。銘文は『浅草寺誌』や『江戸名所図会』にも収載される。 元禄期当時の仰及びその周辺の状況を明らか...
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